自分を見失うほどの恋を。

エッセイ

ちょっと、恋の話を、してもいいですか。





いつもか。






***



久しぶりに、
自分の中から出てきた言葉が並ぶ、
パソコンの画面を、落ち着いて椅子に座って、
見つめている。




ここ数週間、
猛烈に、恋をしていました。


恋を探して、恋を求めていました。



ここ数年、心理学を学びながら、
ゆっくり積み上げてきた自分が
全てリセットされてしまうかのように、
恋に溺れて息ができなかった
あの頃の自分に
戻ってしまったのかと思うほど、
数えればたった数十日の間だけれど、
わたしの中の、
依存心とか承認欲求とか
もっと奥にあるすべての感情が、
暴れだして、
手が付けられないような日々を、
つい数日前まで送っていた。

やっと、椅子に座って、
自分の言葉を眺められる落ち着き、
のような、
安堵できる時間が戻ってきた。




1年間の片思いを終わりにしてから
まだ1ヶ月も経っていないことが、
なんだか現実とは思えなくて、
そんなことを言い出したら、
そもそもあの恋自体が、
私にとっての“現実”というものからは
離れた場所にあったような気がしてくる。

でも、それすらも愛おしいと思うほど、
不思議と、
後を引く未練や後悔のようなものもなく、
私の心についたあの彼の足跡は、
あの日で終わっている。

もちろん、思い出すこともあるけれど、
一日ずつ、ちゃんと思い出から遠ざかって、
心を乱さずに、
遠い距離から眺められる。


誰にだって、
大切にとっておきたい恋や、
忘れられない夜や、
心に残っている笑顔や言葉や温度があって、
それをときどき思い出しながら、
忘れられない夜を何度も越えて、
だんだん忘れていきながら、
目の前の愛に必死になって生きていく。

私にとって、
きっとあの彼はそういう存在で、
だからこそ、これからも、
誰もが抱える過去、みたいなものに、
もっと優しくなれるような気がする。



いつも、終わった恋を、
ズルズルと引きずるのだけど、
今回は、私にしては珍しく、

恋の傷は、恋で癒そうと、自然と思えた。

誰かを愛することに対して、
卑屈になったり恐れたり期間を空けたりせずに、
また、愛を探しにいこうと思った。




それは、きっと、
支えてくれた大好きな人たちの愛と、
それによって決まった決意のおかげ。

もう、わたしはわたしを
幸せにするために生きていく、と決めたから、

悲しみに浸る時間も、大切だけど、
もどかしくて、上手くいかなくて、
自分に向き合う時間も、すごく大切だけど、
わたしが幸せでいられる時間はもっと大切。

誰かに私の愛を受け取ってもらったり、
愛してもらえる時間はもっともっと大切。

大好きな人の温度の中で、抱かれて、
頭を撫でてもらえる安心が、わたしはほしい。
無理することなく、そう思えるようになったから。


こんな風に愛されてもいいんじゃない?って、
夢を見せてもらえた夜のおかげで、
どうせ愛されない、
そんなふうに悩んで、泣いている時間が、
すごくもったいないものに思えたから。

上手くいかなかったことに想いを馳せるよりも、
どうしたら愛を受け取れるのか、
どうしたら愛せるのか、
そんな理想に思いを馳せていたいと、
思えるようになったから。

そして、もしも、
私が望んだ場所で理想が叶わなくっても、
頑張らなくても、
愛してもらえる場所が絶対にあるから、
そこで、笑っていればいいんだ、
と思えるようになったから。

そんなわたしは、
きっと、また、ひとまわり、
強くも、弱くも、なれた、と思う。

恋をして、強くなれることと、
弱くなれることは、一緒なのかもしれない。


そして、何より、
本当に求めているものが、心でわかったから。


恋で、悲しく泣いているひとりの時間は、
わたしにとって、
わたしを形作る大切な一部分ではあるし、
誰かを本気で愛する以上、
これからも何度も訪れるものだと思うけど、
本当に求めてるものではない。
そのことに、やっと気づいた。

わたしは、愛する人に愛されて、
触れられて、大切にされて、
笑顔で時間を過ごしている日々が、なによりも、ほしい。
ひとりでなく時間は、もういらない。

未来の相手には、
泣いてるわたしを、そっと抱きしめて、
泣き止むまで、ずっとそばにいて欲しい。



そう思って、立ち上がったのが数週間前。


そして、そこから、つい数日前までの間、
そんな覚悟も気持ちも、
リセットされてしまったのかと思うくらい、
自分の感情に振り回される私がいた。
(あれ?)




***



唯一、恋する気持ちだけが、
私の生活の中で、
意味を持つような日々。

自分でも驚くくらい、
恋以外、何も、やる気が起きない。

恋のこと以外、
息をすることもおっくうな日と、
恋のおかげで前向きな気持ちになる日を行ったり来たり。

感情にひたすら振り回される。

最低限の生活を送るので必死になる、
なんだか余裕のないわたし。
恋に、エネルギーを取られすぎると発動するわたし。

恋、食べる、寝る。
かろうじて働いて、
ときどき仲間に囲まれて、笑う。

私の脳内グラフでは、
恋95%、
友人や仲間、好きな人たちと過ごすのに4%、
それ以外が残りの1%。

全然仕事にならないし、夜もあんまり寝付けない。
自炊も手抜き。
栄養バランス無視しちゃう。
甘いもの、食べたいものの誘惑に負ける。
心が重くて、体も重い。

Twitterのタイムラインも、
自分から溢れ出る感情で埋まっていく。

ブログみたいに、
長い言葉で自分の感情と向き合う気力もわかずに、
更新も滞る。

だけど、今、冷静になって考えると、
二人で過ごした時間はまだ数時間しかない関係で、
きっと、
恋の相手、そのものではなくて、
その人を想うことで自分の中に生まれる感情に
ひたすら振り回されていたんだと思う。

こんなはずじゃなかったのになあ。
もう、わたしだけが追いかけたり頑張ったりする恋は、
こりごりなのに。


あの片思いで、
これでもかと我慢していたものは、
好きだから、
叶わなくても平気と諦めていたことは、
嫉妬とか独占欲とか依存とか
そういうものを押さえ込んでいた後遺症は、
思っていたよりもわたしの心に根付いていて、
油断するとすぐに爆発しそうになる。

ああ、
わたしの中にあるこの濁流みたいな感情が、
あの恋のときから、あったのなら、
わたし、こんなに我慢していたんだ、と気付く。




甘えたい、抱きしめてほしい、
そういう感情の沼があって、
ずっとずっと、満たされるのを求めてる。

油断すると、止められなくなって、
甘えられる場所を求めては、求めすぎて、
自分の存在が重たくなって、
わたしの心は、裾を掴まれて、
体ごと、その沼に、沈んでいってしまう。

まだ寄りかかれるような距離にもいない
相手の気持ちを必死に想像して苦しくなって、
私はやっぱり愛されない、に浸ってみたり、
そのくせ心の底から
求めてもらえないことが怖いから、
本当に心で、その人に決める、
ということがわからなくなっていたり。

自分らしくいられない恋愛は、
やっぱり、わたしの本音やわたしの芯から、
わたしを遠ざけて、
素直さを鈍らせてしまったようで。




わたしの本質は、やっぱり、
何度恋をしても、
いくつ歳を重ねても、変われないのだ、と。

器用になれたわけでも、
おとなになったわけでもなくて、
わたしは、
わたしのことをおかしくしてしまう
そういう類のものから
卒業できたわけでも、
距離を置けたわけでもなくて、
わたしの中からいなくなったわけではなくて、
これからもずっと、
わたしのなかにいるんだ、と。


おとなになるって、
いい女になるって、
きっと、
こういう気持ちに
振り回されないようになることだと思っていたけど。

そういう理想を求めて
ずっと歩いてきたのに、
そんなものからはほど遠い場所に
辿り着いてしまったような気もしている。


だけど、それも含めてわたしなんだと、
そういう諦めのようなものも、
存在しているのが、
昔よりも、自分と仲良くなれた証拠なのかな。


燃え尽きてしまうようなものではなくて、
注いでいなければ、
消えてなくなってしまいそうなものでもなくて、
温かくて、くすぐったくて、
優しい気持ちがたしかにあって、
でも、ずっとここにいたら、
だんだん酸素がなくなって、
窒息しちゃいそうな気持ち。
油断したら、寂しい顔をした影の中に沈んでしまいそうな。


ああ、そういう感覚がないと、
わたし、生きていけないんだなあ。

沈みそうなほどの感情に、
揺られて、泳いで、乗せられて、
振り切って、抱きしめながらじゃないと、
わたし、生きていられないのかもしれない。



LINEを待つ心臓の音。
好きだと言っていた食べ物を
コンビニで買って、ひとり家に帰るまでの足音。
話題に上がったアーティストの曲。

私の日々に
いつのまにか溢れるそんな音たちが、
あ、私、この人のことが好きなのかもしれない、
と、教えてくれる。


また、傷つくかもしれない。
また、失うかもしれない。
また、泣くかもしれない。

そんな不安は、たしかに、
今もわたしの素直な心の裾をひっぱって、
ときに寂しそうな目でこっちを見ているけれど、

それでも、恋をすると、
そんな不安は、
わたしのなかで、
大したことではなくなったように、
笑顔になる。

わたしの不安は、
それでも、わたしが恋をすることを、
きっと喜んでくれているんだと思う。

わたしが、
わたしらしくいられることを知っているから。
どんなに泣いても、
また、笑えることを、知っているから。

願わくば、今度こそ、
泣くような恋はしたくないんだけど。


それでも。

ああ、この人が好きかもなあ、と、思う。

私は、その感覚には、抗えないことを知っている。



全部がキラキラしてみえて、
なんでもできるような気がする乙女な私と、
何もやる気にならなくて、
沼にはまったみたいに、
心も体も重たい私をいったりきたり。

疲れる。
ものすごく。
自分が重すぎて、まったく動けない、と、
空でも飛べるかと思うくらい、身軽に動く、の繰り返し。



好き。

その感覚ひとつで、どこまでも自由になって、
一歩も動けないほど囚われる。



わたしね、これが、ダメだと思ってた。

恋をして、こんな自分になって、
なにもできなくなって、
そんなんじゃ愛されなくて、
そんな女は、
素敵な男性からは見向きもされなくて、
自分自身が自立して、輝いていなければ、
理想の恋なんてできないって。

でも、今日まで私を生きてきて思う事は、
そんな自分を変えようとしたって、

恋をしたときの、
わたしの全部がいきいきして、
今日を生きることを喜んでいる、
この感覚には、ほかのどんなことも、勝てなくて。

わたしの心の中に、好きかもしれない人が、
大切で繊細なあたらしい場所を作って、
そこが少しずつ、広がって、
確かなものになっていく感覚が、
わたしがわたしらしく生きていくために、
どうしても必要で。



ああ、こうだったなあって、
わたしの世界はいつも、
誰かを心に住まわせて、
夢中になることで、
嵐のように、色づいてきたなあって。

だけど、いつも、
幸せになる、
大好きな人に、
溶けそうなくらい思いっきり愛される。

そんなことは上手く描けない自分がいた。

そんな風に幸せになることは、
わたしにとっては、
愛されない、の常識を壊すこと。
自分の枠の、外に出ること。
これまでのわたしを、失うこと。

だから。


自分を見失うことは、
本当の自分で生きることなのかもしれないなあと、思う。

自分、という枠が分からなくなるほど、
頭の感覚からは離れて、
ほんとうのわたしの感覚の中で、生きていく。

すでに、自分でも、
よくわからないことをいっていると思うけど。

今、わたしは、
どんどん、自分を見失っていこうとしている。

過去のわたしの思い込みも、
傷も、
何もかもわからなくなるほど。

これまでの自分じゃ想像もできなかった幸せの中に、
身を投じたいと願ってる。

そして、そのことを、すごく怖がっている。


だけど、
自分を見失わない恋なんて、
わたしらしくない。

きっといつだって、
自分を見失うほどの恋をして、
生きていくんだろう。



あきらめて、わたし。

それが、残念ながら、
私にとっての、生きること。

それが、幸せにも、
私にとっての、生きること。



そんなことを、
感情の波の中で、
ゆらゆらと揺られながら考えている。

心が重くて、
どうにもこうにも、苦しかったけれど、
それでも、
また、誰かを好きになれることが、
やっぱり嬉しい。



***


そして、この期間に、
わたしがもうひとつ抱えていたものにも、
今、気付く。

自分の世界、感覚に対して、
わたしは、本当は、自信がない。
わたしなんてたいしたことない、という、劣等感。

恋をすると、
恋にエネルギーを注いでしまうから、
純粋に言葉を紡ぐことに対するエネルギーも
減るのだと思っていた。

でも、それよりも、
好きな人を前にすると、
自分の感情を言葉にする感覚が鈍ってしまう、
そのことに気が付いた。

伝える勇気がないことを隠すように、
ずっと、感覚をごまかしてきたんだな、と思う。

自分の感覚に素直に、
言葉を生み出す自信が持てなくて、
向き合いたいという気持ちになれなかった。

私は、今も、
こんな自分を見せたら嫌われる、
と思っているし、
こんな自分のことは理解してもらえない、
と思っている。

そして、それほどまでに、
嫌いにならないでほしいし、
理解されたい、と、思っている。

自分を見失うほどの恋をしてしまうのは、
本当の本当は、
自分に自信がないからなのかもしれないと、
見て見ぬふりをしてきた事実を、
今、あらためて実感する。

きっと、これまで、
私の感性は、
好きな人に好かれたい、という欲求だけには
勝てなくて、
永遠に2番手だったんだ。

いつもは堂々と
自分の世界を表現していても、
ひとたび恋をして、
私の中心が恋色で染まると、
私の感性は、
陰にそっと隠れて、自分の色を見失う。


ああ、ずっと、そうだったんだ。


あの恋で、
言葉にすることができていたのは、
きっと、本当は、
好かれることなんてないのだと、
わかってもらうことも、
これ以上近くにいくことも、
心のどこかで、
諦めがつく距離感だったから、
なのかもしれない。



今の好きかもしれない人には、
私、たぶん、
もっと近くにいけることを、
好きになってもらうことを、
心から、望めているんだと思う。




***



自分を見失うほどの恋。


私にとってそれは、
何を見失うのかによって、
大きく形を変えていく。


自分の常識や思い込みを見失うことは、
ほんとうの自分に戻ること。

自分の感性を見失うことは、
ほんとうの自分を隠してしまうこと。


私は、ずっと、
愛されないことを言葉にしてきたから、
愛されないと思ったからこそ生まれた感性だから、
愛されるわけにはいかないと、
思ってきたのかもしれない。

でも、
愛されないと思ってきたその世界こそ、
愛してもらうことができることを、
きっと私は感じたいのだと思う。



好きな人の前でも、わたしの感覚で、
好きなことや、心のことや、言葉や、
わたしの世界のことを表現できること。


そして、それを受け入れてもらえること。

同じように、
相手の世界も大切にできること。

それは、もしかしたら、
わたしにとって、
いちばん望んでいることなのかもしれない。


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