人生を物語にする愛の翻訳家 愛野ひとです。
今日は、私が今、
「人生を愛の物語として書いている」
原点になったお話をさせてください。
あの日。
私は、人生でいちばん、泣いていた。
溢れてくる涙が、止まらない。
それは、母を亡くした日でも、
母のことを思い出した日でも、
カウンセリングで母のことを話した日でもなくて。
母を亡くしてから、約20年後。
はじめて、母の物語を書いた日。
*
母が病気でこの世から去ってしまったのは、私が6歳のとき。
寂しくて、寂しくて、たまらなかった。
……と、今の私は思う。
でも、当時の私は、「寂しい」と思っていたことさえ、よくわかっていなかった。
ただ、お母さんがいなくなった。
ただ、毎日が、それまでとは違うものになった。
そして、お母さんがいなくなっても、私は、泣くことも、しなかった。
「寂しい」という自覚もない。
誰かに「寂しい」と言おうと思ったこともない。
そもそも、私の中から「寂しい」という感情そのものを、消してしまったんだと思う。
きっと、「寂しい」って感じてしまったら、
本当に、生きていけなくなりそうと、私の無意識が、私を守ったんだと思う。
私は「寂しい」を、私の世界から無くした。
そのことすら、自分では知らないまま。
気づいたら、私は、自分の気持ちを誰かに話さない子になっていた。
嬉しい、楽しい、は話せても、
辛いことや、悲しいこと。
本当にお腹の奥で感じている、
本音の本音は、話さない。
誰にも見せない。
「大丈夫?」と聞かれても、「大丈夫。」と答える。
本当は全然、大丈夫じゃなくても。
気づいたら、そんなふうに、生きてた。
そんな私が、中学生になって、
誰に言われるでもなく、書くことを始めた。
家族にも友人にも、言えないことがたくさんあった。
だから、自然と、ノートに書いた。
ノートの中だけは、何を言ってもよかった。
片思いしていた先輩に、
本当はもっと話したかったことも。
友人には言えない、
私の本音も。
仲間外れにされたときの、
「どうして私だけ?」という悲しみも。
いじめられて、無視されて、
悔しいのに、誰にも言えなかったことも。
誰にも見せられない、たくさんの、私の気持ち。
いちばん柔らかくて、感じやすくて、
誰かの目を気にしながら、いつもどこかで傷ついている。
そんな時代を、私は、
誰にも見せないノートの中で過ごしてきた。
書いているときだけは、
私が、私でいられる気がしたのかもしれない。
当時の私は、そんなふうに考えていたわけじゃない。
「書くことで、自分を救っている」なんて、
もちろん知らなかった。
だけど、今振り返れば、
あの頃すでに、
私にとって、ノートに自分の思いを書くことは、
「私が生きていることを確かめること」であり、
「息をすること」でもあったんだと思う。
誰に見せるわけでもなく、書いて、書いて、書いて。
何ページも、何冊も。
私が息をした記録が、積み重なっていった。
それから少し大人になって、
あれほど隣にいたノートとも、距離が遠くなっていた。
それでも、肝心なときに、言葉は私の隣にいてくれた。
好きな人へ手紙を書いたり、
伝えられない想いを文章にしたり。
口では言えないことも、文字なら言えるような気がした。
書くことは、私の人生の、大切な相棒だった。
だけど、23歳のとき。
この世の終わりかと思うほどの、
大きな失恋をして、私は、書けなくなった。
……というより、
「書く」ということ自体が、私の中から消えていた。
あれだけ何年も書いていたのに。
あれだけ、私の隣にあったのに。
苦しいときにはノートを開いていたはずなのに、
そのときの私は、
「書こう」とすら思わなかった。
書けば楽になる、なんてことも、
すっかり忘れていた。
私はただ、
苦しいまま、その痛みに、触れないように、生きていた。
「寂しい」を、
私の世界から無くした時と同じように、
「書く」ことを無くした。
無くしたことにさえ、
気づかないまま。
そんな私が、書くことを取り戻したのは、27歳のとき。
心理カウンセラーになって、
このブログを書き始めたときだった。
だけど。
そのときの私は、すっかり忘れていた。
人生を懸けた恋が終わってからの4年間。
書くことが好きだったことも、
書くことで何度も自分を救ってきたことも、
書くことが私にとって息をすることだったことも。
私が生きていることを確かめる、
私との対話を、私は、忘れていた。
全部、忘れてしまっていた。
でも、自分のブログを書くことで、少しずつ思い出していった。
ああ、私、書くのが好きだったんだ。
書くことで、自分を救ってきたんだ。
書いているとき、私は私でいられたんだ。
ずっと忘れていたものが、
少しずつ、私のところに戻ってきた。
私は、ここにいる。
そう確かめるように、夢中で書いた。
私の気持ち。
私に見えている世界。
私が、今、ここにいること。
それからは、また、書いて、書いて、書いて。
たくさんの、自分の話を書いた。
今思えば、あの頃の文章は、
心理カウンセラーとしてのブログではなくて、私の、叫びだった。
「私は、ここにいる。」
「これが本当の私の気持ち。」
「これが、本当の、私。」
誰かに伝えたかったというより、
まず、私自身に、「私はここにいるよ」って伝えたかったんだと思う。
当時の私は、苦しい恋の真っ最中で。
息が詰まりそうで、
もどかしくて、
どうにもならない想いの中で、
必死に幸せを見つけようとしてた。
「どうして、こんなに好きなのに。」
「どうして、うまくいかないんだろう。」
「こんなに、頑張っているのに。」
「もう少し我慢したら、いつか幸せになれるのかな。」
そんなことを、毎日のように書いていた。
でも、書けば、書くほど。
苦しさの奥に、封印したはずの、「寂しい」を、見つけてしまう。
だけど、そこは触れないようにしていた場所。
お母さんがいなくなって、
「寂しい」と感じることをやめたあの日から、
ずっと閉じていた場所。
そこを開けるのには、
少し、時間と、勇気が必要だった。
そして、
あの日が、やってきた。
お母さんを亡くしてから、22年後のことだった。
今なら、閉じていた扉が、開けられる。
そんな気がした。
ずっと閉じていた心の奥から、
感じたら寂しすぎて、
死んでしまいそうで、
封印していた気持ちを、ひとつずつ、掬い上げていった。
「寂しい」
「本当はずっと、寂しかった」
「お母さん、なんでそばにいてくれなかったの」
「お母さん、会いたいよ」
「もっと一緒にいたかった」
「もっと私を見てほしかった」
「もっと、お母さんに甘えたかった」
22年も経っているのに。
まだ、
私の中から溢れてくる気持ちは、
こんなに、息をしてる。
こんなに、生きた気持ちが、残っている。
忘れた、と思っていた。
というか、
最初から、
感じていなかったかのように、
忘れたことすら、忘れていたのに。
言葉と一緒に、
とめどなく、溢れてくる涙が、教えてくれた。
ここにあるよ。
ここにいるよ。
ひとつ。
また、ひとつ。
私は、忘れていた私を、取り戻していった。
夢中で、書き続けた。
何時間、書いていたかもわからない。
結末は、書いている私にも、わからない。
どこに向かうのか、どんな言葉が出てくるのか、わからない。
だけど、
思いが止めどなく溢れてきて、
言葉が、時を超えて、私を連れていく。
そして、最後の言葉にたどり着いたとき、
私は一人、夜の部屋で、静かに、泣き崩れた。
ただ、涙が、溢れてきた。
嗚咽とも違う。
苦しさとも違う。
ただ、体の奥が、泉になったみたいに、
涙が、湧き出てくる。
泣いて。泣いて。泣いて。
お母さんと離れ離れになって、
でも、涙も出なかったあの日から。
22年分の涙を、全部、流した気がした。
私のどこに、こんな涙があったんだろう。
でも。
不思議だった。
痛くない。
寂しさはそこにあるのに、苦しくない。
ただ、湧き出てくる。
その涙は、澄んでいて、あたたかくて、とても、やさしかった。
私は、お母さんを失ったことではなく、
お母さんを愛していた私に、泣いてた。
「大好き。」
そんな言葉じゃ、足りなかった。
私は、命懸けで、お母さんを愛してた。
会えなくなってからも。
忘れないように。
失わないように。
必死に、握りしめて。
ずっと。
ずっと。
愛してた。
そして、わかった。
私は、お母さんを失った悲しみを、
ずっと見ていたんだ、って。
「いちばん大好きな人に、
置いていかれてしまった。」
「もう、会えない。」
そんな物語を、ずっと生きてきた。
でも、その物語の中には、ひとつ、
ずっと見ていなかったものがあった。
お母さんを、こんなにも愛していた私。
その愛を、見てこなかったんだ。
私がずっと抱えてきた、
この山盛りの寂しさは、私の愛だ。
体の底から溢れてくる、この涙は、私の愛だ。
私の体を満たしているのは、この、愛だ。
失った、と思っていた愛は、
ずっと、私の中に、あったんだ。
そうか、私。
こんなに、愛してきたんだね。
だって、この世界で、私だけが、
私が、どれだけ愛してきたかを、全部、知ってる。
それまでも、何度も癒そうとしてきた。
何度も泣いて、前に進もうとしてきた。
「もう大丈夫」と思いたかった。
早く、幸せになりたかった。
いつまでも過去を引きずっている自分を、もう、終わりにしたかった。
だけど。
母への思いを書ききった、そのとき。
私は、私の愛を、はじめて、受け取れた。
はじめて、私自身に、
私の愛を、届けてあげることができた。
そんな気がした。
溢れてくるこの涙は、
小さなわたしが、
22年間、
ひとりで抱きしめ続けてきた愛を、
今の私が、やっと、受け取れた涙なんだ。
わたしが、わたしの全部で、
愛してきたことを、
私が、はじめて、受け入れられた涙。
それは、人生で、いちばんやさしい涙だった。
翌朝。
世界が違って見えた。
通勤電車から見える、いつもの景色。
それなのに、空気が、透き通って見える。
空が、鮮やかに見える。
風が、爽やかに感じる。
息が、吸える。
体が、こんなにも、軽い。
まるで、生き返ったみたいだった。
どこかでずっと、生きることが、苦しかった。
どこかでずっと、生きていることが、重たかった。
ずっと見て見ぬふりをしてきたそれは、
「お母さんのいないこんな世界を、生きていたくない。」
っていう、私の命の底にこびりついていた、
生きることへの抵抗だったのかもしれない。
だから、こんなにも重いのに、
私の人生を生きている、
そんな感覚は、薄かった。
でも。
あの日から。
私、生きてきたんだ。
私、本当はずっと、生きたいって、思ってたんだ。
そんな感覚が、静かに、
体の奥から湧いてくるようになった。
私が、私の生を、自分で選んでいる感覚。
私が、私の意思で、ここに立っている感覚。
私が、私を、生きている。
*
私は、「母を亡くした人生」を、
生きてきたと思ってた。
その寂しさを抱えてきたせいで、
私の人生は苦しい。
だから、その悲しみを癒さないと、
幸せになれない。
ずっと、そう思ってた。
でも、きっと、そうじゃなかった。
私が生きてきたのは、
「母を、命懸けで愛した人生」なんだ。
ずっと。
ずっと。
この寂しさは、私の愛だ。
そのことを、知らなかっただけだった。
だから、寂しさを消さなくていい。
悲しみを無くさなくていい。
「もう、こんなことを感じたくない」って、
自分を嫌いにならなくていい。
ただ、その奥にある、私の愛を、
私が受け取ってあげるだけで、よかったんだ。
それは、誰かに愛された証じゃない。
私が、愛してきた、という証。
私の人生は、
愛を失った寂しい人生なんかじゃなくて、
こんなにも、愛してきた人生だったんだ、って。
あの日。
はじめて、私は、私の人生を愛せた。
*
だから、私は、書いている。
過去を、愛されていた過去にするためじゃない。
悲しみを、消すためでもない。
「幸せだった」なんて、
無理に思えるようになるためでもない。
あのとき、命懸けで誰かを愛していた、
私たちの愛を、なかったことにしないために。
「寂しかった」
「会いたかった」
「もっと愛してほしかった」
「本当は、ずっと大好きだった」
そんな、言えなかった気持ちまで、
ちゃんと、人生の一部にしてあげるために。
自分自身に、
「どれだけ愛していたか、ちゃんと知ってるよ。」
そう、伝えるために。
私たちの人生は、
愛されなかった物語じゃない。
こんなにも、
愛してきた物語だったんだ、って。
あの日の自分を、
抱きしめられる物語を。
*
そんな思いで、今。
私は、物語を書いています。
「愛の1ページ」セッションを通して
生まれていく、一人ひとりの物語。
そこには、
母への想いも。
父への想いも。
大切な人への想いも。
それぞれの愛の形があって、
それぞれの人生があります。
「置いていかれた」と思っていた人。
「愛されなかった」と思っていた人。
「どうして、こんなに苦しいんだろう」と、
ずっと、自分を責めていた人。
だけど、
その人の想いを、
一つひとつ拾っていくと、
その奥には、
愛してきた時間が、ちゃんとある。
私は、それを見つけるたびに、思うんです。
ああ。
この人も、
こんなにも、愛の中を、生きてきたんだな、って。
だから、
もし、ここまで私の物語を読んで、
あなた自身の人生を、少しでも思い出したのなら。
もし、あなたの中にも、
「失ったもの」や、
「寂しさ」や、
「ずっと抱えている悲しみ」があるのなら。
もしかしたら、その中にも、
あなたがまだ知らない、あなたの愛が、きっとある。
「愛されなかった」と感じる時間の中に、
誰かを愛していたあなたがいる。
見たくないと蓋をしてきた痛みの中に、
伝えたかった本音がある。
「どうして、こんなに苦しいんだろう」
と思っていた時間の中に、
一生懸命に生きてきた、あなたがいる。
私は、自分の物語を書いて、
はじめて、それに気づきました。
そして、誰かの物語を書けば書くほど、
同じことを思うようになりました。
私たちの人生には、
自分でも、まだ知らない愛が、眠ってる。
そんな愛を見つけるための物語を、
もっと、あなたに届けたい。
だから、
愛の1ページセッションを通して
私が書いてきたみんなの物語と、
私自身の物語を、
『愛野ひとの物語便』として、
お届けしていくことにしました。
まず、はじめにお届けするのは、
この記事でお話ししてきた、あの日。
母を亡くしてから22年後。
私がはじめて、母への想いを書いた日に、
実際に書いた文章を、お届けします。
ここまで読んでくださったあなたに、
ぜひ、受け取って欲しい。
あの日の私が、
自分の中にあった愛を見つけたように。
この物語を読むあなたにも、
あなた自身の中にある愛を、見つけてほしい。
あなたの人生にも、
きっと、まだ見えていない愛がある。
一生懸命愛していた、
あの日のあなたを、今、迎えにいこう。
ぜひ、ここから、受け取ってください。

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