私が愛したお父さんも、恋をしたあの彼も、私を寂しくさせる、弱い男でした。

心理学講座

お父さんは、
どうやら、強くて完璧なスーパーマンではないらしい。


そのことに気付いたのは、
私が、5歳のとき。


お母さんが、あの世に旅立ったとき。


病院の駐車場で、
お父さんが、「お母さん死んじゃった」と、泣いているのを見たとき。


5歳ながらに、ものすごく、衝撃を受けた感覚を、覚えている。


だって、私のお父さんは、強くて完璧なスーパーマンだと、思っていたから。



だけど、そうじゃないらしい。


そのとき、私は、思った。



なんとしてでも、この人を、笑顔にしなければ。



もう、二度と戻っては来ない、お母さんの代わりに。



***





それから、お父さんを笑顔にする日々が始まった。



それは、そんなことを意識して覚悟して、
「よし」と意気込んで始める隙もなく、
当たり前みたいに始まった。


お父さんが、どんな顔をしているかを気にすることが、私の生活の一部になった。


お父さんは、
嬉しそうな日もあれば、寂しそうな日もあった。


お父さんが嬉しそうな日は、私も嬉しかった。


お父さんが寂しそうな日は、私も寂しかった。


私の心の海は、お父さんの顔色一つで、
凪にも、大嵐にもなった。




お父さんは、私がいい子でいると、嬉しそうだった。



いい成績を取って、お父さんが喜んでくれたら、嬉しかった。


運動会で活躍して、お父さんが喜んでくれたら、嬉しかった。



家庭訪問も、授業参観も、
お父さんは仕事でいなかったけれど、
おばあちゃんから
「愛が褒められてたよ」と聞くときのお父さんは、とても嬉しそうだった。


お父さんは、いつも、朝早く出かけて、
夜、暗くなってから、帰ってきた。

仕事から帰ってくる車の音がしたら、
玄関を飛び出して、「パパー」って、迎えに行った。




お父さんは、どうやら、
家にいるのが、あまり好きではないようだった。


小学校の頃は、日曜日になると、
私をどこかへ連れて行ってくれた。

朝、出かけて、夜、暗くなるまで、お父さんとの二人旅。


私は、その時間がとても大好きだった。


お父さんは、日々の仕事とか、
私は、学校とか、先生たちからの期待とか、
そして、
『寂しさ』から、
きっと、少しだけ、解放されるような気がしていたんだと思う。


お父さんと私には、
『最愛の人を失った寂しさ』という、
強烈な共通言語があって、


それは、ふたりにとって、
何よりも重要で、
でも、決して、触れてはならなくて。


あまり多くを話す親子じゃなかったような気がするけれど、
言葉がなくても、
お父さんが私に笑ってくれるのを見ていたら、
それだけでよかった。


言葉になんかしなくても、
私たち親子の代わりに、
車のオーディオから流れてくる
中島みゆきが、
言葉になんて到底できない底知れぬ感情を、
ドスの効いた声で、代弁してくれていたような気がする。


今思えば、
あのドライブの日々は、
お父さんと私の、
小さな逃避行だったのかもしれない。




お父さんは、自分の親である、
おじいちゃんとおばあちゃんに、
少しきつくあたるところがあった。


でも、それは、
嫌いだからではないんだろう、
お父さんなりの、
心の叫びなんだろうって、
なんとなくわかっていた。


そんなお父さんは、
なんだか、ものすごく小さく見えた。

見た目は完全にもう大人なのに、
なんだか、そのときのお父さんは、
ずっと反抗期の、中学生みたいだった。



私が小さくて、
お父さんと私の部屋がまだ同じだった頃、
おじいちゃん、おばあちゃんと
お父さんがケンカして、
家族の雰囲気が悪くなると、
お父さんは、よく、私を連れてその部屋にこもった。


私は、
お父さんがこれ以上寂しくならないように、
お父さんが少しでも平気になるように、

お母さんに取り残されてしまったお父さんが、
この家でも、
ひとりぼっちにならなくてすむように、
いつもお父さんの味方になった。


おばあちゃんもおじいちゃんも、
お父さんに、結局強くは言えなくて、
見かねたおばあちゃんが、
私にお父さんの愚痴をこぼすこともあった。


そのたびに、私は、
ああ、私の、お父さんが、ごめんね、と思った。

お父さんが素直じゃないから、
おばあちゃんと、おじいちゃんを、
傷つけてごめんなさい、って。



それでも、
私がいい成績を取ったら、
先生に褒められたら、
おじいちゃんとおばあちゃんも、喜んでくれた。

私がいつも、明るくて、優等生で、
家族が喜ぶような話題を持って帰ったら、

お父さんがつらく当たってしまう分も、
お父さんがいつまでも子どもみたいに困らせている分も、
少しは、取り戻せるような気がした。


ああ、この家族の雰囲気を守れるのは、
私しかいないのかもしれないって、
子どもながらに重要任務と感じていたような気がする。


もちろん、
おじいちゃんとおばあちゃんには、
たくさんわがままも言って困らせたから、
私が、家族の雰囲気をぶち壊す張本人になる日もあった。

お父さんにどうしても反抗できない分、
わがままで子どもらしくできるのは、
おじいちゃんとおばあちゃんの前だった。



お父さんは、いつもは優しいけれど、
虫の居所が悪いとき、すごく突然不機嫌になった。

私の言ったことで、
突然そうなることもあった。

私は、
お父さんが不機嫌な顔をするのが怖くて、
お父さんの気に障るようなことは、
余計なことは、なるべく言わないようにしよう、と心に誓った。


私には、
とても心が優しいシャイな、いとこの男の子がいて、
お父さんは、
いつだか、そのいとこと比べて、
「愛は優しくないね」と言った。

私は、何も言えずに、ただ、黙るしかなかった。

あのときは、
どうしてあんなにも、
涙が出てきたのか、
胸が潰されたみたいに悲しかったのかわからなかったけれど、
今思えば、私の全部を、否定されたような気がしたんだと思う。


「そうか。こんなにお父さんが大好きでも、だめなんだ。
私は、お父さんの力になれてないんだ。
まだまだ、足りないんだ。」


そう思うには、十分だった。

だけど、その悲しみを、
一番わかってほしいお父さんに、言えなかった。



私が中学生くらいになると、
部活が始まって、
お父さんの仕事も変わって、
休みが合わなくなって、
もう、毎週のように二人で出かけることはなくなった。


仕事に行った後、
誰もいないお父さんの部屋には、
いつもワインの空き瓶があったように思う。


でも、そのうちに、
健康診断でひっかかったのか、
あまり体調が良くないのか、
お酒を飲むことも、
あまりできなくなってしまったみたいだった。


私とお父さんの部屋は、
古い田舎の木造の一軒家の二階で、
ふすまと壁を挟んで隣どおしだった。


お父さんは、今日も、お酒を飲んでいるのかな。

お父さん、体を壊したりしないかな。


夜になると、
なんとなく、
寂しさの気配に耳を澄ませては、
お父さんが寂しくないといいなあと、願った。


私がまだ小さくて、
おじいちゃんとおばあちゃんとお父さんと私の4人の家族に
やっと慣れたてだった頃、
お父さんから
「パパが、再婚してもいい?」と、聞かれたことがあった。


でも、私はそのとき、
「やだ」と答えた。


本心だった。


やっと、
おじいちゃんとおばあちゃんとお父さんと私の4人で、家族になったじゃない。

私はこの家族が大好きなのに、
これ以上、家族が変わるのはいやだ!


そんな気持ちだったように思う。



そのとき、まだ幼くて、
お父さんに実際の相手がいたのかどうかは、
わからないのだけど、
それから大人になるにつれて、
私は心のどこかでずっと、それを後悔していた。



あのとき、お父さんが、
もう一度ひとりの男性として、
幸せになるチャンスを、
奪ってしまったかもしれない。



私が中学か高校生くらいのとき、
もう一度、チャンスがやってきた。

今度は、実家にも、相手の女性が、挨拶にやってきた。

私は、私の存在が、1ミリたりとも
その再婚に邪魔になることがないように、
お父さんの幸せを壊してしまうことがないように、


私はあなたと仲良くもできるし、
あなたが望む距離で関わることができる娘です。
もう、ひとりの大人なので、
あなたの手を煩わせることはありません、
という顔をした。


その後の家族会議で、
「(お父さんの)年齢も年齢だし、お金もかかるし、もう子供はな」


と、最後まで言葉にせず、
子供は作らないでおきな、と、
現実的な話をする
おばあちゃんにかぶせるように、


「そしたらさ、新婚旅行くらいは、好きなところに行きなよ!」
と、私は、努めて明るく言った。


お父さんが
「愛は良い娘だなあ~」と、冗談ぽく、眉を下げて、嬉しそうに笑ったのをよく覚えてる。


「当たり前じゃん。」


そんなの、当たり前じゃん。

私は、ずっと、お父さんの味方なんだ。

お父さんが、本当に幸せになってくれるなら、それでいい。



でも、
私のできる娘としての頑張りも虚しく、
その話も、再婚、という形に辿り着くことはなかった。


最終的にとても悲しい形で
終わってしまったとき、
私は、胸が潰されるくらい、悲しかった。

お父さんにかける言葉が見つからずに、
触れることのできない話題として、
胸にしまった。

お父さんの幸せが、
新しい家族という形にならなかったことが、
お父さんが、またひとりぼっちになってしまったことが、
とてもとても、悲しかった。




***





本当は、私はずっと怖かった。


ずっと寂しかった。


ずっと嫌だった。



お母さんがいなくなった日から、
私の心は、たぶん、ずっと、路頭に迷ってた。

言葉にできない気持ちが、たくさんあった。

ずっと、どうすればいいかわからなかった。

心はずっと震えていた。



だけど、自分が震えている、
そんなことよりも、

『お父さんが悲しい顔をしていない』

そのことが一番大事だった。


「私、どうすればいい?」って、
聞けなかった。


だって、どうすればいいか、
お父さんもわからないことを、
わかっていたから。


お父さんも、同じように、
あの日から、迷っていることを、
寂しくて寂しくてたまらないのだ、ということを、
どこかで感じ取っていたから。



だから、聞かない。



自分が震えていることに気付いてしまったら、
私は怖いんだ、寂しいんだ、悲しいんだ、

そのことに気付いてしまったら、
平気な顔をして、生きてはいけない。



私が「寂しい」って言ったら、お父さんを、困らせちゃうじゃない。



だから、私は強くなった。

何が起きても、平気になった。


傷ついて、泣いている人がいたら、
その人の力にならないと、と思ってきた。


だって、私は強いから。

悲しいことを、
ちゃんと乗り越えてきたんだから。



そして、
傷ついている人の力になりたいと
本気で思う私と、
もうひとり、心の奥底には、
少し、バカにする私もいた。


「弱いなあ」


「そんなことで泣いてんじゃねえよ」


「こっちはもっと悲しいんだよ」


「泣ける場所があっていいよね」


「あなたは、泣けていいよね」



そして、
そんなふうに思う私を、
なんて冷たい人間なんだと、否定した。

その冷たい私は、
誰にも見せてはいけない私、として、
胸の奥に隠した。



大好きなお父さんに、笑っていてほしかった。

そのために、そばにいたかった。



たぶん、私は、お父さんを、弱いなんて、
思っていたわけじゃない。


弱いか強いかも、わからない。

だって、それしか、知らない。

私のお父さんしか、知らない。



ただ、お父さんが、
かっこわるいお父さんでいなくていいように、
もう二度と、悲しい泣き顔を見なくてもいいように、
私は、頑張った。



「お父さんを悲しませない」


その役割を、勝手に背負って、生きてきた。



***



そんな私が、18のときに、
家を出て、東京で1人暮らしを始めた。


1人暮らしのワンルームの、
その部屋には、もう、背負わないといけない役割はない。


私は、自由を手に入れた。


夜遊びも、
どこにでも行けることも、
誰にも遠慮しないで泣けることも、
何を食べてもいいことも、
一日中死んだように寝ていられることも。


自由だ。


誰にも心配をかけなくてすむ。


人生って、こんなに軽くて、楽しかったんだ、と思った。


最初のうちは、その自由を謳歌した。


私が、そのまま、
自由をただ、謳歌できていたら、
また私の人生は、全然違っていたかもしれない。

でも、まだ、
あの頃の私は、
急に気軽な生き方に方向転換するには、
まだまだ、優等生の癖がありすぎたんだろうな。


自由を手に入れた解放感と同時に、
精神的にお父さんを背負うことが
当たり前すぎた私は、


なんだか、
生きる意味を見失ってしまったような、
なんとも言えない虚しさを感じるようになった。


あの頃のよくわからない虚しさにも、
今の私なら、説明がつく。


そして、ある日、出会ってしまった。



どうしようもない寂しさを抱えて生きてきた、
ひとりの男性に。


最初から、彼は、
他の人とは違うような気がした。

なんとなく、抱えているものが、
一緒なんだと感じた。


なんだか近づいてはいけないような気がしたけれど、
あれよあれよという間に、
人間としての心の距離は近くなった。

そして、
一緒にいればいるほど、
愛おしいと思う気持ちを、
止めることはできなかった。


「僕は、人を信用しすぎちゃうから、全部信じてしまって、傷つく。
それなら、最初から信用しない」

「失うくらいなら、最初からいらない」


私には、彼の必死の強がりが、全部が、SOSに聞こえた。


正直な言葉なんて何一つなくたって、
震えている彼の心が、
手に取るようにわかるような気がした。


「寂しい」という叫びが、いつも伝わってきた。



どうしようもなく、
ふたりだけが理解できる感情で、
繋がっていられるとき、
私は、人生で一番、私に意味を感じることができた。



「君は、本当に、僕の味方でいてくれる?」



当然、彼はそんなことは一度も、
言ったことはなかった。
でも、私には、聞こえるような気がした。

幻聴だってかまわない。


この人が愛を信じられないのなら、
信じられるようになるまで、私が、そばにいるから。


傷ついたっていい。
そのためなら、ボロボロになってもいい。


この人の、味方でいたいと思った。
この人のために、生きたいと思った。


それが、私の使命だ、そんな感覚があった。


私にとって、
愛される安心感を感じることよりも、

ふたりだけの世界で、
寂しさを分け合っていられるほうが、
ずっとずっと大切なことのように思えた。



その人は、自分が寂しいときに、私を呼んだ。

いつでも、私の全部で、応えようとしてきた。

でも、私が寂しいときは、彼は応えてくれなかった。

その関係性は徐々に、私の日常と、私の心に影を落とした。


だけど、
彼が寂しいときにそばにいられることこそ、
彼の心が痛いときに、
私を選んでくれることこそ、
この世で何よりも意味があることのように思えた。


私にだけ、
弱音を聞かせてくれたとき、私は彼にとって、特別なんだ。
そんな、何物にも代えがたい満足感があった。

それは、私にとって、
家族という檻から出た世界で、
もう一度、生きる意味を教えてくれるものみたいに思えた。


「彼をわかってあげられるのは私だけ」
と、思っていたし、
彼にもそう思ってほしくて、
図書館で傾聴と名の付く本を片っ端から借りて読み漁った。


「彼さえいれば何もいらない」と、思っていた。


でも、数年後、その恋は、終わってしまった。


生きている意味を失った私の世界は、灰色になった。

だけど、どんなに悲しくても、
どんなに、生きる希望がなくても、
生きていかないといけない。


大丈夫。
私は大丈夫。


だって、それを、私は、5歳のときからやっている。




それから数年間は、
もう、こんなにボロボロになったりしないように、
のめり込まなくてもすむ相手と付き合って、
物足りなさを感じていた。

その物足りなさから、
目を逸らすように、

「あんたが私を愛しなさいよ」
「あんたが私を幸せにしなさいよ」

そうやって、
求めて奪い尽くす恋愛をしていた。

奪い尽くされた相手は、
からからに干からびて、
申し訳なさそうに、私から逃げていった。


「そんな弱い男はいらない」と思った。



そして、
その恋の傷が本当に癒えてきたとき、
私は、もう一度、心の底から『愛せる』相手を求めた。


そのとき、
私が愛したのは、彼女がいる相手だった。


当然ながら、心の距離は、遠い相手。

会える一瞬は、
もう何もかもどうでもいいと思うくらい幸せの絶頂で、
でも、別れてひとりになると同時に、
息ができないくらいの虚しさに襲われる。


だって、彼は、一番大切な彼女がいる家に、帰っていくんだ。


それなのに、私は、ひとりで、
このどうしようもない寂しさを、
抱えないといけないんだ。

だんだん、怒りも溜まっていく。

「あんたはいいよね。だって、帰れる場所があるじゃない」


しかも、彼は、当時、
私のようなポジションの女性を、
代わる代わる作らないと、いられない人だった。


「なんて弱い男なんだろう」と思った。


嫉妬と怒りと憎しみで、
私はどんどん自分を嫌いになった。


だけど、自分を嫌いになってもなお、
そうでもしないといられない彼の寂しさと、
心の傷を、抱きしめてあげたかった。



私は、ボロボロになった恋から
必死の思いで立ち直り、
そして、また、ボロボロになってしまった。


ボロボロになって、
このままでは生きていけないと、
縋るように辿り着いた心理学で、
ようやく、
相手を変えるんじゃなくて、
本当に変えないといけないものは、
自分の中にあるんだと気付いた。


自分の「寂しい」は我慢して、愛することが、私の愛し方だった。


こんなにボロボロになって、
自分と向き合って始めて、
私は、私の心がこんなにも苦しい理由が、
お父さんとの関係にあること。

私が、
いつも寂しそうな相手を選んでしまうのは、
お父さんを助けたかったからだったんだ、と知った。


そのことを知ったとき、
お父さんに、会いにいかないといけないと思った。


お父さんに、人生で初めて、
「寂しい」って、言わないといけないと思った。


そうじゃないと、
私は、この、
自分をボロボロにしてしまう愛し方を、
手放すことができないと思った。



そして、お父さんに、
「ずっとさびしかった」
そう伝えるためだけに、新幹線で実家に向かい、
泣きながら伝えた。

その日から、私の人生も、恋も、
変わっていったように思う。


お父さんに、
本当の気持ちを伝えても、お父さんは大丈夫。


それからも、何度も、
実家に帰る度に、
お父さんと本音で話をする機会をつくっては、


私は、そのことを、
小さい私に、何度も何度も、教えている。




***



お父さんを、ずっと愛してきた私の人生。


でも、最近、私はずっと怒っていたことも、わかった。




お父さんは、自分の寂しさでいっぱいで、私の寂しさを、受け止めてはくれなかった。

そんなお父さんは、弱い。

男なんて、弱い。

みんな弱い。

みんな、私の寂しさを、受け止めてはくれない。



お父さんのことを、
悪く言いたくなかったから、
心から、愛しているし、
愛されてきたと思っていたから、
見ないようにしてきた怒り。



お父さんは、
完璧なスーパーマンなんかじゃなくて、
ただの、不完全で、弱くて
お母さん、という、ひとりの女を愛して、
そして、失った、男。


自分の全てをかけて愛してくれたお父さんを、
悪くなんて、言いたくなかった。

お父さんの愛が完璧だったと、思いたかった。

でも、私のお父さんは、
弱くて、情けないところも、いっぱいあった。


お父さんは、自分の寂しさで、
いっぱいいっぱいだった。


それで、私は、寂しい思いを、たくさんしてきた。


そのことが、私は、ずっと、
認められなかったのかもしれない。


それでも、一生懸命、
私を愛そうとしてくれた、ひとりの男。


迷いながら、とまどいながら、傷つきながら、痛みを抱えながら、
それでも私を愛してきてくれた、ひとりの男。




きっと、みんな、そう。

自分でいっぱいいっぱいで、
でも、それでも、親として、子どもとして、妻として、夫として、精一杯、生きてる。


だからこそ、私たちは、
どこまでいっても、
自分で、自分を、幸せにしないといけないんだ。



ねえ、お父さん。

悲しいときに、涙を流すことが、弱いことだなんて、もう、思ったりしないよ。

失敗すること、迷うこと、間違ってしまうことが、かっこわるいことだなんて、もう、思わない。

痛みをなかったことにして、強く、真っすぐ生きていくことが、正解だなんて、もう、思ってないよ。


ただ、そう思っていないと、生きてこれなかった、私がいただけ。



お父さんを弱い男に、していたのは私。

もう、お父さんの弱さを、どうにかしようと、しなくていいんだ。

お父さんを、助けようと、しなくていいんだ。




愛していたから、期待した。

愛していたから、愛してほしかった。

愛していたから、誰よりかっこいい、お父さんでいてほしかった。

愛していたから、私が望む愛をど真ん中でくれる、お父さんでいてほしかった。

愛していたから、強くて優しい完璧なスーパーマンでいてほしかった。




愛していたから、お父さんの寂しさを、私がなんとかしたかった。

愛していたから、お父さんが寂しそうなとき、ごめんねって思ってた。

愛していたから、お父さんが寂しい顔をしているのが、許せなかった。

愛していたから、お父さんが幸せにならないことが、許せなかった。





それでも、やっぱり、
世界でたったひとりしかいない、私のお父さん。


とても強くてとても弱い、私のお父さん。
とても愛情深くてとても優しい、私のお父さん。


お父さんを愛してきたことを、
お父さんに愛されてきたことを、
お父さんの娘として、生まれてきたことを、誇りに思います。



お父さんは、
強くて完璧なスーパーマンではないけれど、
私に愛を教えてくれた、
たったひとりの、大好きなお父さんだよ。


***


私たちは、
どうしても、自分の親を、愛そうとするんです。


どんな親でも。


どんな家族でも。



そして、愛せなかった自分を、恋愛で、やり直そうとします。


それが、もしかしたら、
いつしか、
『愛』ではなくて
『怒り』や『憎しみ』や『諦め』として、表れることもあるかもしれない。


でも、それだって、
愛せなかった、愛されなかったことを
悔やむほど、愛していたから。

まだ、あなたが、
傷つくことなんて知らず、
全身で愛そのものだった頃から、始まってるんです。

だって、大人になってもなお、
悔やんでいるとしたら。
許せないとしたら。

私たちは、
どれくらい、愛されたかったんだろう。
どれくらい、愛したかったんだろう、と思うんです。



もし、今、
あなたの恋やパートナーシップが
どうしようもなく苦しいとしたら。

そこには、もしかしたら、
親への愛や、
あなたが親にしてきた愛し方が、
原因になっているかもしれません。


それを痛みや苦しみのままにしておくこともできるけれど、
自分の愛してきた歴史として捉えなおすことで、
私たちは、
自分の人生を、何段階も深く、
受け入れ、愛せるようになっていくんだと実感しています。

私自身も、
何度も何度もそこに向き合って、
恋愛だけでなく、
私の目に見える世界を丸ごと変えてきて、今があります。



どうせ、
自分として生きていかなきゃいけないなら、
自分を好きになって、
自分の人生を愛して生きていきたい。

だって、
自分の人生の全てをまるごと愛する権利は、
この世界でたったひとり、
自分だけに与えられているから。



自分という器の中にある痛みを、
愛として捉えなおせばなおすほど、
私たちは、自分のことを好きになれます。

自分の過去に向き合うこと、
苦しい恋のルーツを探ることは、
今の自分を愛することに
必ず繋がっていきます。


今回開催する8月18日の心理学講座では、
そんな私の想いを込めて、

自分の愛のルーツを探り、
自分の人生まるごと好きになるための
ひとつのきっかけを、
掴めるような講座にしたいと思っています。

「もっと自分を好きになって、
これからの恋愛も人生も変えていきたい」
そんなあなたは、
ぜひ、掴みに来てくださいね。


◆カウンセリング
カウンセリングでは、
自分の両親へ抱えてきた感情や、
自分がしてきた愛し方と、
深く向き合っていくことができます。

自分自身と深く繋がり、
過去を癒したい方には、こちらもおすすめです。

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