【申込〆切2/8(水)18時】「ちゃんとしなさい」という、母の呪縛から解放されて、自分の人生を自由に生きるには?

心理学講座

愛情アーティストの愛野ひとです。

先日の師匠とのYouTubeライブで、こんなご相談をいただきました。

実家に住んでいて、お母さんから、いつも「ちゃんとしなさい」と言われている。
私の言葉の節々にも「ちゃんと」「きちんと」があるとカウンセリングで指摘され、無意識に色んなことに対して「ちゃんとしなきゃ」と思い込んでいるんだなと実感しました。
これって、母の呪縛ですか?解放するには、どうしたらいいですか?


私たちは、お母さんの期待に、応えたいんです。

小さいとき、あなたが意識していたのは、
「怒られないように」で、
「期待に応えたい」ではなかったかもしれないけれど、

でも、褒められたいし、
お母さんに認めてほしいし、
「いい子だね」って、言われたいから、
お母さんが望む自分に、なろうとします。

だけど、大人になればなるほど、
お母さんが望む自分と、自分が望む自分に、食い違いが起きてくる。


そこで、お母さんの望みなんて知ったこっちゃねー!と、知らんぷりできたらいいんですけど、なかなかそれができないし、
しかも、私もお母さんと同じ口癖が…?ってなると、
もはやこれは呪いなのでは?
この呪いから自由になりたい!と、思うのが、当然だと思います。

今日は、その呪いを解放していくには、どうしていったらいいか、をお話していきます。

YouTubeライブでは、
「お母さんから言われた「ちゃんとしなさい」の呪い、
それは呪縛ではなく、あなたがお母さんを愛してきた勲章ですよ」

って、お話をさせていただきました。
(映像でも見たい方は、Twitterのリンクから、ちょうどそのお話のシーンに飛べます)

そもそも、呪いじゃなくて、勲章なのです。

だってね、本当は、嫌だったのに、
ちゃんとしようと頑張ってきたってことです。

無意識に、そう思ってしまうくらい、何度も何度も、お母さんの望む自分でいようとしたってことです。

だからね、それは、お母さんを愛してきた勲章。


まずは、そんな自分を思いっきり、認めてあげてください。


「ちゃんとしなさい」
「ちゃんとしなくちゃ」
「しっかりしなきゃ」

呪いが発生する度に。
あ、私、またやってるわ、ってさ、
首からメダル、かけてあげてください。
くれぐれも、首、折れない程度にね。
気を付けて。

そんなに、私の中に、お母さんがいるんだなあって。


そしてね、その上で、
あなたが何を我慢してきたのか、
本当は、何を感じていたのかを、
見つめてみてください。

「ちゃんとしなさい」と
言われるのがすごく嫌だったなら、
きっと、あなたの本音は、

「ちゃんとしたくなかった」

さらに言うと、

「のんびりしたかった」
「ありのままでいたかった」

もっとさらに言うと、

「受け入れてほしかった」
「どんな私でもいいって言ってほしかった」
「信じてほしかった」
「許してほしかった」


とかもあるかなあ。

色んな気持ちがあると思います。


だけど、自分を優先して、
「ちゃんとしない」を選ぶことよりも

お母さんを優先して、
「ちゃんとしなさい」を、選んできたんです。

これってね、
実際、そう言われている場合はわかりやすいのですが、
言われてはないんだけど、
「ちゃんとしておいたほうがいいだろう」と、思って、
「ちゃんとする」を、自主的に選んできた場合もあります。



だからね、私は、
本当は、どうしたかったのかなって、
どんな気持ちを我慢してきたのかなって、
自分に聞いてあげてほしいです。

そして、そう思う事を、許してあげてほしい。

ちゃんとしないでいることを、許してあげてほしい。
「うるせえーーー」って怒ることを、
「もうこりごりだーーーー」って叫ぶことを、
「どうして私をわかってくれないの」って悲しむことを。


「愛で言ってくれてるんだろうな」
って思うのは、
100年くらい後でいいです。
(死んじゃうね。

フレンチで言うと、デザートの後のお茶菓子くらい後でいいです。

というか、自然に思えるようになるまでは、思わなくていいと思います。
大丈夫、ちゃんと、思えるようになります。


でもね、それも、すごく、怖いと思います。
(余計なことを書きすぎて、「それ」がどれのことだかわからない)


自分の素直な気持ちを認めてあげること、
そして、それを許してあげること、ですね。

だって、それをしたら、お母さんが怒る。

目の前に、お母さんがいなくても、
そうやって、脳にインプットされてしまっている。
そして、それが、いつしか、お母さんの声、というよりも、自分の声とか、世間の声、とか、彼の声、色んな人間関係で発生する自動装置に組み込まれていきます。


だけどね、

たとえ、お母さんを怒らせるとしても、
たとえ、お母さんを困らせるとしても、
たとえ、お母さんを悲しませるとしても、
たとえ、お母さんをがっかりさせるとしても、
たとえ、お母さんにとって親不孝な娘になってしまうとしても、

自分の本当の気持ちに素直になることが、
自分の人生を生きていくための
初めの一歩だったりします。


だってね、お母さんの人生を、生きてるわけじゃないから。


もちろん、色んな状況があって、
もっとめんどくさいことになるから、
我慢していた方がまし。
何もしないほうがましとか、
とても許される状況ではなかった、とか。
そう、言いたくなる気持ちもあるかもしれません。


それでも、私たちは、
お母さんに怒られないために、生きているんじゃないんです。
お母さんをがっかりさせないために、生きているんじゃないんです。

自分をがっかりさせないために、生きているんです。
自分の望みを、叶えるために、生きているんです。


そこで、遠慮してしまったら、
どこまでも遠慮する人生になっちゃいます。


あなたの人生の中で、
「お母さんが一番、私は二番」

が当たり前になると、

「愛する人が一番、私は二番」ということを繰り返していきます。

もちろん、無自覚な場合もたくさんあります。

ええ、私もさんざんやってきましたとも。


私たちは、自分を一番幸せにするために生きてます。


でもね、思いっきり、矛盾するようですが、
私たちは、同じくらい、
「誰かを幸せにしたい」とも願う愛の生き物です。



誰かを幸せにするためにも、生きているから、

「誰かを幸せにしたい」
その思いが強ければ強いほど、
「自分を幸せにすること」を忘れちゃうんです。

「誰かを笑顔にしたい」
その思いが強ければ強いほど、
「あの人が笑顔になったら、やっと自分も笑顔になれる」と思っちゃうんです。


だから、あなたが、
「自分を幸せにすること」を忘れて生きてきてしまったなら、あなたには、愛する力がたくさんあるってことです。


小さい頃、あなたは、
お母さんが、笑ってくれたら、すごく嬉しかったはずです。
お母さんの機嫌がよかったら、すごく安心したはずです。

「お母さんの笑顔が、私の幸せ」

それなのに、

「私の笑顔が、お母さんの幸せ」とは、思えていないんです。

お母さん、だけではなく、
彼、にも、パートナー、にも当てはまるかもしれません。


悩まれている多くの方が、

「頭ではわかるけど、心はついてきません。」
とか、
「私の笑顔が、お母さんの幸せ、だなんて、考えたこともなかったです。」
(あなたは、こんなに、お母さんのことを考えているのにね。)
とか、
「自信がない」「思えません」と言います。

「他の人のお母さんならそうかもしれないけど、私のお母さんは、例外だと思います」とかね。

幼少期や、過去の経験から、
強烈に、否定される方もいます。

もちろん、辛い経験をされている方が、
そう思うのは、当然です。

だって、あんなにも、ひどい扱いをされた。

「私の笑顔が、お母さんの幸せ」だったなら、
あんな扱いをするわけない、って。


そりゃ思います。
思っていい。
そう思うことが、悪いことじゃない。


でもね、でも、
お母さんにひどい扱いをされた、だから、あなたが、我慢をしないといけない。

それは違います。

お母さんにひどい扱いをされた、だから、あなたが、幸せになれない。

それも違います。

かわいそうなお母さんだった、だから、あなたも、不幸でいないといけない。

それも違うんです。

お母さんは、あなたの人生に、ものすごく影響を与えるけど、
でも、
あなたの人生を、生きることができるのは、お母さんではありません。

あなたしかいません。




自分よりも、お母さんを優先していると、
永遠に、自分との片思いの人生が続いちゃうんです。

「私は後でいいよ」
「あなたが先にどうぞ」って、
譲っちゃうんです。

それがあなたの愛し方、だから。


怒っているのも、きっと同じです。

「お母さんのせいでこうなった」
「あんなお母さんじゃなかったら」

今の自分の幸せを考えてあげることよりも、お母さんに怒ること、を、優先してるんです。


だからね、まずは、自分の本当の気持ちを、ちゃんとわかってあげる必要がある。
そして、ちゃんと優先してあげる必要がある。

お母さんの願うあなたでいることより、
自分の願うあなたでいることを、
あなた自身が選んであげる必要がある。



「でも、願ったって、叶わないじゃないですか。」


たしかに、お母さんからは、
あなたが欲しかった願いは、十分には、叶えてもらえなかったのかもしれません。


でも、
「欲しいものを欲しいと望んで、でも、もらえなかった」
ことと、
「欲しいものを最初から諦めて、だからやっぱり、もらえなかった」は、違います。


「欲しいものを欲しいと望めること」

と、

「望むことさえ諦めていること」は、

人生への絶望度が、違います。

自分への絶望度が、違います。



「願ったって無駄」
「だからそんなもの願わない」
「欲しいものは手に入らなくて当たり前」
「私の人生は、そんなもの」


の人生を生きたいと、
心の底から思う人はいないと思います。


「本当は欲しい」

だけど、
どう頑張ってももらえなかったから、
傷ついて、
もう二度と傷つきたくないから、


「願ったって無駄」
「だからそんなもの願わない」
「欲しいものは手に入らなくて当たり前」
「私の人生は、そんなもの」


なんです。

消去法で、
「願わない」を選ぶしかなかったんです。


それが、当たり前だからと、
その生き方を続けてしまうと、
一番欲しいものには手が届かない人生になります。

「願わない」んだから、そりゃそうなんです。

「一番欲しいものには手が届かない」を、証明し続けてしまうことになります。


それが、当たり前だったんじゃない。

これまでは、それを選ぶしかなかっただけ。

それくらい、痛かったんです。

それくらい、傷ついたんです。


でもね、その痛みは、あなたが、お母さんや、誰かを、あなたのことよりも、優先してきた痛み。

だとすると、それは、あなたの愛、だった。

だから、その痛みは、あなたの愛の勲章です。

そのことに、心の底から気付いて、
自分を許し、
自由にしてあげることができたら、
ちゃんと「望むことができる」ようになります。

自分の願いを、自分が叶えていくこともできるようになります。


望むことを許せないと、
自分の願いを、自分が叶えることはできません。


だからこそ、
「欲しいといっても叶わないかもしれない」
その心配をする前に、
「欲しいと言ってもどうせ叶わないのだから」
と諦める前に、
欲しいものを「欲しい」と望むことができること。


あなたが、自分の本当の気持ちを
ちゃんとわかることができて、

誰にも遠慮せずに、
「私は、一番欲しいものを望んでいい」と、
思えることが、大切なんです。



ひとりでは、怖いかもしれない。
そんなこと、信じられないかもしれない。


そんなあなたは、一緒にやりましょう。


明後日2/9(木)20:00開催の
「母と娘の心理学講座」では、
お母さんとの関係の中で、
あなたが本当に欲しかったのは何なのか。
あなたの本音を、見つめていきます。


その上で、
自分が自分の感情を受け止めるって、
どういうことなのか、
体感でも感じられるような
イメージワークもしていきます。


もし、少しでも
「気になる」と思ったあなたは、
ぜひ、そのあなたの気持ちを優先するところから、
踏み出してみてくださいね💗

私が全身で、受け止めます💗💗💗
(すごい右向いちゃってるから、ぜひ右側からきてくださーい!(?))


【お申込〆切は、明日2/8(水)18時】
まだのあなたは、忘れずに駆け込んで~~~💗

え、嫌?(笑)

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