【私の生い立ち】心が壊れるほどの「寂しい」の先で辿り着いた、胸いっぱいの「愛してる」

🌹プロフィール

強くて優しくて怒ると怖いお父さんが泣いているのを、生まれて初めて見たのは、私が5歳のときだった。




「お母さん、死んじゃった」




川沿いにある、灰色の砂利が敷き詰められた、ただっ広い病院の駐車場で、お父さんは私にそう告げて、苦しそうに、ポロポロと、涙を流していた。



いざというとき、言葉は何の役にも立たない。


5歳の私も、例外ではなく、そのときに発することのできる言葉なんて、持ち合わせていなかった。

それどころか、目の前で起きている、二つの大きな悲しみに、意識も心もからだも、何一つ、追いつくことができなかった。


混乱する頭の中で、大好きなお母さんが、この世を去ってしまったことよりも、今、目の前で、大好きなお父さんが泣いていることの方が、咄嗟に、どうにかしないといけないような気がしたのだと思う。



どう考えても、私だって、泣いても良かった。



むしろ、あのとき、大声をあげて泣くことができていたら、私の人生は、随分と違ったものになっていた気がする。



だけど、私は、泣かなかった。



泣かない代わりに、小さなからだで、心に刻み込んだ。




「もう二度と、お父さんを、悲しませたりしない。」





***





お母さんは、癌だった。


私が小さいころから、入退院を繰り返し、私がまだこの世で5年間しかお母さんの娘でいられていないうちに、あっという間に、手の届かない世界へ行ってしまった。


この世界のことを5年分しか知らない私にとっては、『死』というものが、どういうことなのか、まだ、よくわからないところもあったんだと思う。


「お母さんは、お空にいってしまったんだよ。もう、会うことができないんだよ。」
そんなふうに、お父さんや、家族に教えてもらった記憶もない。




だけど、誰に教わらなくても、なんとなく、いや、確かに、わかっていた。




もう二度と、お母さんに、会えないこと。



もう二度と、お母さんは、私の名前を呼ぶことはないこと。



「お母さん」と呼んでも、もう二度と、返事は聞こえないこと。




だけど、それがわかっても、不思議と、涙は、出なかった。



実際は、泣いたこともあったのかもしれないけれど、私の記憶では、お母さんの死を知ったそのときも、お通夜でも、お葬式でも、泣いている自分の記憶がない。



記憶に残っているのは、どうしたらいいのか、わからない感覚。


どうやって、悲しんだらいいのか、どうやって、この目の前のことを、受け止めたらいいのか、正解なんてない、あるわけがないのだけど、私の中にある感情だけでは、とても表すことなんてできそうにもなかった。


だから、何も感じなかったのではなくて、何かを感じることすらできなかった、の方が近かったように思う。


でも、5歳の私に、その区別などできるわけもなくて、私は、確かにそこにいるのに、みんなが泣いて、悲しんでいるのに、自分だけが、それを、少し遠くから見ているような感じがした。


私の、お母さんなのに。
それなのに、そこにいる中の誰よりも、私が、一番、遠い人みたいだった。


みんながいる「悲しい」をちゃんと感じることのできる世界と、私のいる世界には見えない壁があって、その壁は、私の力では、越えることができないような気がしたし、越えてはいけないような気がした。



そこを越えてしまったら、お母さんがいないことを、私が悲しんでしまったら、私が泣いたら、きっと、今、目の前にいるお父さんが、悲しむ。


それは、あの日、病院の駐車場で誓った、「もう二度と、お父さんを悲しませない。」という、決意に反すること。


頭で考えたことではなくて、意識してそうしたことでもなくて、私の直感と感覚で、心とからだの全部で、そう感じていたんだと思う。


当時の私には、お母さんのことを思い嘆くよりも、目の前のお父さんを悲しませないことの方が、優先すべきことのように思えた。




だから、それ以来、私は、お母さんに対して、何かを感じることを、封印した。



そして、それは、私だけではなくて、お父さんも。一緒に暮らして面倒を見てくれた、おばあちゃんとおじいちゃんも、同じだったように思う。


母を亡くした5歳の娘にかける言葉も、残されたお父さんにかける言葉も、お母さんのことを話すのにふさわしい言葉なんて、頭のどこをひっくり返しても、きっと、誰も持ち合わせていなかった。


私たち家族の間では、「お母さん」のことを、話題に出すことを、封印した。
約束するわけでもなく、誰かがそう言ったわけでもなく、それでも、家族の間で、鍵をかけて、触れてはいけない場所に、しまい込まれてしまったようだった。





どんなに嘆いても、悲しんでも、泣き叫んでも、お母さんは、もう、帰ってこない。

私の目の前には、お母さんがいない世界しか、なくて。

明日も、明後日も、お母さんがいないことは、変わらない。

どうやら、この世界で、生きていくしか、ないらしい。



それなら、悲しむことに、何の意味があるんだろう。

それなら、嘆くことに、意味はないように思えた。



だって、仕方ないから。

泣いたって、悲しんだって、どうしようもない。




お母さんに、抱きしめてほしい。
お母さんに、笑ってほしい。
お母さんに、名前を呼んでほしい。
お母さんに、今日あったことを聞いてほしい。
お母さんに、「大丈夫」って安心させてほしい。
お母さんが作ってくれた、ミルクセーキが飲みたい。
お母さんが作ってくれた、かにクリームコロッケが食べたい。
お母さんと、手を繋いで、お出かけしたい。
お母さんと、同じ布団で、一緒に眠りたい。
お母さんに、「大好きだよ」って言ってほしい。










願いなら、数えきれないくらい、ある。
だけど、どんなに願ったって、何一つ、叶わない。


それなら、願う意味もない。




だって、そんなことしたって、余計に悲しくなるだけ。




大丈夫。



悲しくなんか、ない。





だって、ほら、涙も出てこない。







***



「お母さんの死」を、過去にするために、私は、生き急いだ。


可愛いものが大好きで、ぬいぐるみをいつも抱えて、スカートを良く履いていて、人一倍女の子で、甘えん坊だった、一人っ子の私。


でも、黒くてつやつやの長い髪を、結ってくれるお母さんは、もういない。


気付けば、長かった髪をバッサリ切って、ショートカットにTシャツにジーンズで、いつも男の子に間違われるくらい、ボーイッシュな私が出来上がっていた。
男の子の友達に交じって、荒くて強い言葉を使うようになった。


「私は、大丈夫」それが、口癖になった。


強く、強く、なりたかった。
悲しみになんて、負けないように。


強く、強く、ならないと。
油断したら、心にぽっかり空いた穴に、落ちてしまいそうだった。


誰にも負けないように、勉強も運動も頑張って、いつも明るくて、みんなを笑わせて、頼りにされて、とびきり元気な、私。


まるで『お母さんがいないことを悲しんでいる私』なんて、どこにもいないかのようだった。



だって、悲しんだって、意味がないんだから。



悲しくなんてない。
泣いたりなんかしない。

全然、平気。



私は強いから、全然、大丈夫。



学校で、辛いことがあっても、誰にも言わなかった。



いじめの標的にされたときも、言わなかった。

夜が来ると、明日の朝が来るのが嫌でたまらなくて、家族に気付かれないように、ひとり、泣きながら眠った。


「あいつのお母さんは、おばあちゃんだから」と、陰口のように言われているのを聞いてしまったことも、
おばあちゃんが作ってくれたお弁当が、なんだかみんなのものよりも茶色いような気がすることも、
授業参観に、みんな、綺麗にしたお母さんたちが並んでいるのに、ひとりだけ、おじいちゃんが来ていたことも、
みんな、化粧品とか洋服とかメイクとか身だしなみとか、おしゃれにして楽しんでいるけど、その話題についていけないことも、

みんなと違うことは、たくさんあったけれど、それを、「悲しい」と思っても、そういうひとつひとつのトゲみたいな気持ちを、ただ、飲み込むことしかできなかった。



だって、「悲しい」って思ったって、何かが変わるわけじゃない。



私が、そんなふうに、切ない思いをしていると伝えたところで、家族を悲しませるだけ。

お父さんにも、おばあちゃんにも、おじいちゃんにも、誰にもどうしようもない悲しみを、またひとつ増やしてしまうだけ。

だから、私の悲しみは、この胸にしまって、ひとりで、どうにかやりすごして、なんとかするしかない。



「悲しくなんかない。」

そう、言い聞かせて。



「私は、大丈夫」

そう、笑って。







気付けば、いつも、そうだった。



「もう二度と、お父さんを、悲しませたりしない。」


あの日誓った私の決意は、気付けば、「悲しい」「辛い」「苦しい」と言えない、誰にも弱音を吐けない、ひとりで頑張るしかない、自分の気持ちをいつも後回しにしてしまう、私を作っていった。


「悲しい」「辛い」「苦しい」
そんな気持ちは、我慢して当たり前のものだと思ってた。


目の前に、悲しそうな人がいたら、自分がボロボロなことなんて差し置いて、相手の悲しみを受け入れてあげないといけないような気がした。


たとえ、傷つけられるようなことを言われても、
「悲しい」
たったその一言が、言えなかった。


言えなくて、言えなくて、自分の「悲しい」をぐっとこらえて、飲み込んだ。
そういうとき、いつも、胸の奥が苦しくなって、鉛があるみたいに重くなった。


「悲しい」の言葉の代わりに、ポロポロと涙が出てきて止まらないか、口を利かなくなったり、拗ねたりして、態度で「悲しい」を伝えようとした。


相手を困らせようとして、わざとそうしてるんじゃない。

「悲しい」って、伝えていいなんて、知らなかった。

本当に、そうするしか、できなかった。




そんなことをしているうちに、私は、私の本音が、わからなくなった。


私の世界では、「悲しい」「辛い」「苦しい」そんな痛みを、認めることができなくなって、感じてはいけないものになってしまって、どうにもこうにも、扱い方がわからなくなってしまった。






***





そんな私の世界に、「悲しい」を取り戻してくれたのが、恋、だった。


中学生のとき、隣町の中学校の一つ上の先輩に一目惚れをした。


初めて、胸のドキドキでご飯が喉を通らなくなった。
初めて、メールアドレスを紙に書いて渡した。
初めて、先輩のために設定した着信音が鳴った日、心臓が飛び出そうになるくらい、嬉しかった。


楽しくて、嬉しくて、たまらなくて、毎日が、強烈に鮮やかな色を帯びていった。


初めて、女友達に、嫉妬した。
初めて、好きな人に、振られた。
初めて、恋で、泣いた。


苦しくて、悲しくて、一瞬一瞬に、胸を焼け焦がすような感情が、溢れていくのを、止めることはできなかった。


猛烈に、感情を感じられる私がそこにいた。


痛みを封印して、鈍く固まってしまった私の心に、恋は、もう一度、感じることを、思い出させてくれた。

「悲しい」のに、私が思いっきり私でいられる、自由があるような気がした。


それは、すごく、強烈だった。
こんなにも、私の心を動かして、こんなにも懸命になれるものがあるんだ、と思った。


恋は、この世界で、唯一、私の心を溶かして、生きている実感をくれる、酸素になった。


そして、その一目惚れの恋で、私の恋愛至上主義人生が、華々しく幕を開けた。


好きな人を想うとき、心は、息を吹き返したように、感情という血が、どくどくと巡っていく。いつも笑顔で明るい私という仮面で、固まってしまった心の奥にある、行き場のなかった痛みたちを、揺らして、どうしようもないほど狂おしく、突き動かしていく。

心臓がはちきれそうになるくらいの胸の高鳴りも、手汗が噴き出るくらいの緊張も、恋しくて、いてもたってもいられなくなるくらいの衝動も、私にとって、これ以上ないくらい、「生きている」ことを感じられる、かけがえのない宝物だった。


他のものでは、満たされなかった。


誰かを好きになって、夢中になって、恋い焦がれることこそが、私にとっては、この世界の全てだった。
いつも、私の全部をかけて、恋をしてきた。



そうすることで、やっと、生きているって、思えたから。



だけど、だからこそ、私の恋には、刺激が必要だった。


たくさんの痛みを我慢して、ぎゅうぎゅうに押し固めて、鈍くなってしまった私の心。
それを動かすには、感情的に、生死をさまようくらいの振れ幅で、強い衝動が必要だった。


何の苦労もなくすぐに手に入って、安心できて、穏やかな関係なんて、私には、何の魅力も感じられなかった。

相手のことで心かき乱されて、そのことしか考えられなくなって、自分が自分ではなくなって、いかにすべてを投げ出して、夢中になれるかどうかが、私にとっては、何よりも、恋に求める感覚だった。


だから、私の恋は、いつもいつも、まったくもって、一筋縄ではいかなかった。


手に入らないくらい遠い人。
私のことを見向きもしようとしない人。
他の人を想っている人。
どこか物悲しさを抱えている影のある人。
近づけない理由のある人。
私以外に大切な人がいる人。
連絡もくれずに、突然いなくなる人。



そんな人たちに、どうしようもなく恋に落ちて、どうしようもなく、愛そうとしてきた。

そして、どうしようもなく、愛されたくて、しがみついては、傷つけて、傷ついた。


痛かった。
痛かったけど、愛されないとわかっているほうが、夢中になれた。

そして、彼らもきっと、痛いんじゃないかって、閉ざした心の奥のその痛みを、どうにかしてあげたいと願った。

愛の生まれるはずのない場所に、愛を生み出してこそ、価値がある、そんな哲学すら生み出しそうな勢いで、私は、悲しい恋に身を焦がして、生きてきた。


何度も恋で死にそうになって、そしてまた、恋に、生かされた。



誰かに恋をすると、死ぬほど幸せだった。

でも、同時に、死ぬほど苦しかった。




その避けられない痛みを、思いっきり感じながら、私は、息をするように、恋をした。
我慢しながら、泣きながら、ぶつかって、ボロボロになりながら、それでも、愛そうとした。



「私は、大丈夫」
そう言って、相手の前では笑って。


ひとりになって、泣いた。




そんな愛し方しか、知らなかった。




***





そんなふうに生きてきた結果、私の心は、ついに、壊れてしまった。


3年越しの命懸けの恋が、終わりを迎えたときだった。




私の心を覆い尽くす苦しさから目を逸らすように、恋を追い求め、ごまかして、なんとか生きてきたけれど、ついに、何も、頑張れなくなった。


どうして、こんなにも苦しいんだろう、と思った。


私だけがこんなにも苦しいのかな、なんで、あの子は普通に、あんなに楽しそうに、生きていられるのかな。
周りの人と比べて、焦ったり、落ち込んだりもした。


だけど、私の心は、自分の感情の海に、沈んで、溺れてしまって、今にも、窒息しそうだった。

生きてるだけで、涙が出てくる。



限界だった。



恋をしているときだけ生きていて、恋をしていないときには死んだようにやりすごすような生き方も、
恋愛以外に私を支えているものが何もない綱渡りみたいな生き方も、
一番夢中になれる恋愛で、心が壊れていくことも。


自分の心の満たされない場所を、見て見ぬふりする生き方も、
誰にも弱みを見せられず、本当の私をわかってもらうことも、心を通わせることもできない、ひとりぼっちの生き方も。



なんとか、この苦しさから抜け出したい。
そうしないと、私は、生きていることを、投げ出してしまうかもしれない。





すがるようにして辿り着いたのは、心理学だった。



毎日、むさぼるように、心理カウンセラー、恋愛カウンセラー、そういう肩書の人たちが書いているネットの記事や本など、ありとあらゆるものを読み漁った。


そこには、今まで誰も教えてくれなかった私の苦しさが、説明されているような気がして、不思議と安心した。
私の息苦しさの取り扱い説明書を、星の数ほどあるネットの記事の中から、毎日かき集めた。


私が、こんなにも苦しくて、こんなにも悲しい理由は、私が愛してきた彼らのせいじゃない。
私の心の中に、あるのかもしれない。


いつも恋の相手が私の世界の中心で、相手の事しか見ていなくて、がむしゃらにぶつかり続ける、それしか知らなかった私は、生まれて初めて、自分自身と向き合い始めた。






自分の心の中を覗くとき、私が一番、弱い言葉があった。






それは、




「寂しい」




だった。





「寂しい」という、ただそれだけの3文字の言葉。

その言葉を見るだけで、泣けてくる。
私の心を覆う硬い鎧の隙間を擦り抜けて、どこまでも追いかけてくる。
どうしようもなく私の心を震わせて、心の奥から、涙と一緒に、たしかに、溢れてくるものが、あった。






でも、私は。




「寂しい」なんて、置いてきたはずだった。



お母さんが、この世界から、いなくなってしまった、あの日に。



他のどんな痛みより、「寂しい」は、封印して、消して、無かったことにしてきたはずだった。





だけど、どうしようもなく、私の心が反応して、涙が溢れてくるのは、「悲しい」より「苦しい」より「辛い」より、どの言葉より、「寂しい」だった。





おかしいな。





だって、お母さんがいなくたって、寂しくなんて、なかった。




たしかに、早く、お母さんがいなくなってしまったことは、私の人生で、悲しいことではあるけれど、でも、お父さんも、おばあちゃんもおじいちゃんも、こんなに一生懸命、私を愛してくれた。



だから、私、全然平気だった。

お母さんがいなかったことで、

「寂しい」なんて、思ったことはない。







ずっと、寂しくなんてないと思ってきた。


ずっと、平気だと思ってきた。


大丈夫だと、思ってきた。




でも。




溢れてくる、この涙は、何?






そっか。







そうなんだ。






私、寂しかったんだ。







「お母さんが、いなくなって、寂しかった。」





「私 ずっと、寂しかった。」




初めて、そうやって、口に出して言えたとき、ダムが決壊したかのように、止めどなく感情が溢れてきて、涙で前が見えなくなるほど、泣いた。


お母さんと別れたあの日から「寂しい」は、無くなったんじゃない。
ずっと、心の中で、溜まり続けてたんだと、知った。


泣いても泣いても、止まらなかった。





ああ、私、寂しかったんだ。




ほんと、死んじゃいそうなくらい、寂しかったんだ。





お母さん。



お母さん。




私、大丈夫なんかじゃない。



全然、大丈夫じゃない。




寂しかったよ。



私、寂しかった。




寂しすぎて、寂しすぎて、「寂しい」を感じてしまったら、生きてこれなかった。
だから、寂しくない、そういうことにするしか、なかったんだよ。


「寂しい」を無くすしか、お母さんのいないこの世界を、生きてくる方法が、なかったんだよ。




本当は、あのとき、泣きたかった。


「お母さん、なんで死んじゃったの」って、泣き喚きたかった。

「お母さん、私を置いていかないで」って、泣き叫びたかった。

「お母さん、ずっと一緒にいてよ」って、抱き着いてしまいたかった。


もっともっと、わがまま言いたかった。
もっともっと、抱きしめてもらいたかった。
もっともっと、「大好き」って言ってほしかった。

もっともっと、愛してほしかった。



「お母さん、怒ったけど、愛のこと、大好きだよ」

いつも、悪いことをした私を怒った後に、泣いて鼻水だらけで拗ねている私のちいさな体を苦しいくらいに抱きしめて、言ってくれた。


「愛のこと、大好きだよ」

その言葉が、もう、二度と聞けない。

そんなの、嫌だよ。


世界でいちばん聞きたい「大好き」が、もう二度と聞こえない。


寂しいよ。
寂しくて、寂しくて、たまらないよ。


もっともっと、お母さんの手、握ってあげたらよかった。
もっともっと、強く、抱きしめ返せばよかった。
もっともっと、「お母さん」って、呼べばよかった。
もっともっと、「大好き」って言えばよかった。

もっともっと、愛させてほしかった。


大好きだよ。
大好きで、大好きで、たまらないよ。






私、「寂しい」を認めたら、壊れてしまうと思ってた。


「寂しい」を認めてしまったら、その途方もない闇に飲み込まれて、もう二度と、戻ってこれないような気がしてた。


私が私ではいられなくなって、取り返しのつかないことになる気がして、怖かった。



だから、ずっと、閉じ込めてた。

その「寂しい」を開けたら、涙が溢れてきて、止まらない。




でも、不思議なの。

寂しいのに、悲しくない。
寂しいのに、あったかい。







私の「寂しい」は、「愛してほしい」と同じだったんだ。

私の「寂しい」は、「愛してる」と、同じだった。




感じても、よかったんだね。


言っても、よかったんだね。



だって、「寂しい」と感じる私の心は、こんなにも、いっぱいの愛で、溢れているから。


心が壊れるほど、胸いっぱいの「寂しい」は、私の「愛してる」って、叫びだったんだ。



私が、あの日から、閉じ込めてきてしまったこの痛みは、私の愛、そのものだったんだね。





私、きっと、それを、心のどこかで、本当は知ってたから、「寂しい」を、無くせなかったのかもしれない。


あんなに無くしたかったはずなのに、私の人生は、いつも、「寂しい」と隣り合わせだった。


私はみんなとは違うって、勝手に一人になって、本当の私は、誰にもわかってもらえないって、思ってきた。
「寂しい」恋をかき集めては、いつも、痛いほど味わってきた。



「寂しい」を閉じ込めたのと同じくらい強く、「寂しい」に、しがみついて生きてきた。

私にとって、どんなに封印したって、「寂しい」は、お母さんを思うときの感情、そのものだったから。
お母さんが、私に残してくれた、感情だったから。



でも、そんなにも、私がしがみついてた「寂しい」は、まるごと全部、愛だったんだって、わかったよ。







だから、もう、怖くない。




私は、大丈夫。




もう、私、どんなに「寂しい」を感じても、生きていける。





***

お母さん。



私ね、心理カウンセラーになったよ。



「寂しい」「悲しい」「苦しい」「辛い」

その裏にある「愛してほしい」と「愛してる」を言葉にして、伝えていく役目だよ。


胸に閉じ込めて、言葉にすることのできなかった痛みを、そっと掬い上げて、もう一度、愛の言葉で、紡ぎ直していく役目だよ。



「寂しい」「悲しい」「苦しい」「辛い」そんな痛みを、抱えきれないくらい感じてきた人ほど、いっぱいの愛に、溢れているから。



自分の中に、そんなにも大きな愛があることに気付いたとき、心の底から、あたたかい涙が溢れてくる。


自分の「愛してる」に誇りが持てたとき、もう一度、心の底から、誰かを愛する勇気が持てる。


過去の出来事は何も変わらなくても、私たちは、自分の人生をちゃんと、受け入れられるだけの愛を持ってる。


痛みを愛として、もう一度受け取れたとき、その人の痛みがまるごと全部、その人を輝かせる希望になる。


私は、その瞬間に、立ち会えることが、幸せでたまらない。


いっぱいの愛を持っている人たちと、一緒に泣いて、一緒に笑って、一緒に心震わせて、一緒に愛を見つけて、生きてるよ。



どんな涙の人生も、世界でたったひとつ、その人だけの、愛の物語にしていくこと。

それが、人生かけて、「寂しい」を愛に変えてきた私の使命だと思ってる。





だから、私、『愛』って名前を、つけてもらったんじゃないかって気がするの。


何があっても、愛を、諦めなくて済むように。
いつも、愛に生きられるように。
どんなときでも、愛を、伝えていけるように。



きっと、そうだよね。



お母さんがくれた、『愛』という、この命で、
今日も、私、愛の物語を、紡いでいくよ。

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