講師デビューの裏話①「人前で話すのが苦手な私が、講師なんてできるわけがない」

心理学講座

愛情アーティスト 心理カウンセラーの愛野ひとです。

4/27(水)に、
ココロノオフィス心理学講師として、
デビューさせていただきます♥

🌹講座のご案内・お申込みはこちら🌹

なみに、ココロノオフィスというのは、
私の師匠である根本裕幸カウンセラーの会社の名前です



ココロノオフィス心理学講座で
講師をするには、
基準があり、それをクリアして、
初めて講師として立つことができるのですが、

その基準というのが、
お弟子カウンセラー内で、
クローズドの心理学講座を開催して、
そこでいただく評価。

仲間のカウンセラーに
たくさんの応援をいただき、
講師としてデビューできることになりました。


ココロノオフィス心理学講師として、
講座をすることは、
私の2022年に叶えたいことの
大きな一つだったので、とても嬉しい♥


私が初めて、
クローズドの講座にチャレンジしたのが、
今から1年4ヶ月前の、2020年12月。

ここに至るまでも、
本当にいろいろな気付き、葛藤、思い、があったなあと。


今回は、講師デビューを記念して、
私が講師になるまでの軌跡を、
勝手に感慨深く、
振り返っていこうと思います!



愛野ひとの講師デビューの裏話。




「私に講師なんて向いてない」



いや、それどころか、
私と講座なんて、一番かけ離れているもの、と思ってました。
(感情的、感覚的な私と、理論や座学は、相反するものだと思ってたんですね)


そう思っていた私が、
講師になると決めて、挑戦してきた、これまでのお話。


春ですから。
何か始めるには、絶好の季節。

でも、
何かチャレンジしたいけど、

「私にできるわけない」
「私には向いてない」

そんな風に、いつも諦めてしまうあなたに、届くといいな。

人前で話すことが苦手な私には「講師なんてできるわけがない」と思ってた


「講師として立候補すれば、
お弟子カウンセラー内で、心理学講座ができる」


そもそも、その講師制度が始まったとき、
私には、一番関係ない話だと思ったんです。

だって、そのときの私にとって、
「講座」って、
なんか堅苦しくて、学ぶもの、勉強するもの、
というイメージがあって、

「講師」って、
わかりやすく、論理的に、
解説できる人、教えられる人、
というイメージがあって、


感情的で、感覚的で、
わかりやすさなんてガン無視した
長文ブログを書いている私にとっては、
これっぽっちも関係ないだろうと、と思ってたんですね。笑


講座に参加するのは好きだけれど、
自分が講師になった姿、というのは、
一ミリたりとも、想像ができませんでした。

そもそも、心理学の理論を、
解説することに、
情熱もわかなかった、というのは、
たぶん表向きの理由で。


私の本音は、とにかく「話すこと」について、自信がなかったんです。


ブログだったら、
「書くこと」だったら、
いくらでも、
何時間でも、自分の思いをひたすら綴れるのに、
私は、「話すこと」には苦手意識が強くありました。


特に、大勢の前で話そうとすると、
緊張で、マイクを持つ手が震えて、
息が上手く吸えなくなって、
言いたいことが言えなくなることが、
よくありました。


そんな私が、
人前で、90分間も何かを話すことなんて、
できると思わなかったんです。


今思えば、自信がなくて、
興味がない、自分には向いてない、
と理由をくっつけて、
興味がないふりをしてたんですね。

講師に挑戦する
仲間のカウンセラーを尊敬しつつ、
横目で見ながら他人事でした。笑


そんな私に、挑戦したい、
という思いを持つきっかけをくれたのが、
今はカウンセラー・講師として
大活躍中の吉田れんカウンセラー♥
(勝手にれんれんと呼んでいる)

れんれんは当時から、行動力の鬼で、
それこそ、
講師制度がスタートした直後から、
定期的にチャレンジしていて。

れんれんが、私に、
「講座を見に来てほしい」と、
お誘いしてくれたんです。

それまで、
距離を置いて見ていた
『講座』を、初めて見に行くと、

そこには、れんれんも、
同じ日に講座をしていた他のカウンセラーも、
自分なりの講座をしていて、
一生懸命、届けようとする姿があって、
私は、その素敵なエネルギーに影響されました。


「ああ、私も、これ、やりたい」


素直にそう思ったんです。



何かを教えないといけない。

「教える」ことだけが、
講師の役目だと思っていたけれど、

でも、
「伝える」なら、
私にもできるかもしれない。

自分の言葉で、
自分の存在で、伝えたいことなら、私には、山ほどある。

そんな気持ちになって、
突き動かされるのを感じた私は、
講師に立候補してみることにしました。

初講座の準備で思い出した、「人前で話すことが大好きだった私」

講座の準備をしていると、
それまで『講座』に
ある種の拒否反応を示していたのが(笑)
一体全体なんだったんだろう、
と思えるくらい、本当に楽しくて。

何かを作り出す、ということは、
自分のエネルギーを
総動員する作業だと思うんです。

ものづくりをしたり、
作品を作ったり、
ブログを書いたり、
自分でゼロからイチを作ったりしている人なら
きっと誰しもある、
「産みの苦しみ」も、ひりひりと感じながら、
講座づくりに没頭しました。

その苦しみすら、
自分の中から溢れてくる思いを、
ストーリーにして
組み立てていける喜びの一部だと思えたんです。


ひとりで、リハーサルとかするんですけど、
もうね、想いがこみあげてきて、泣いてるわけなんですね。笑


そして、私は、気付くんです。


「この感覚、どこかで知ってる気がする…」


ずっと苦手だと思っていた、
「話す」ことに対する、
没頭できる感覚は、私の人生で、
初めて出会うものではありませんでした。


辿り着いたのは、
すっかり記憶の隅に葬り去っていた、大学時代の記憶でした。



大学時代、私は、
NPOでボランティアをしていて、
そこで、プロジェクトリーダーとして、
よく、20~50人くらいの大学生の前で、
プロジェクトに懸ける
自分の想いを、伝えていました。

私も、泣きながら話すし、
私の言葉で、目の前の人の目の色が変わる。
涙を流すくらい、本気で聞いてくれる人もいる。

当時の私は、今以上に、
暑苦しさが前面に出ている人間でした。


想いを伝えることが、大好きでした。

誰かに伝えているときの自分が、大好きでした。


伝えた想いが、目の前の人に届いて、
心の火を燈す瞬間の、
なんとも言えない一体感が、すごく好きでした。

その瞬間の私は、
ゾーンに入ったみたいに集中して、
ただ、相手に自分を届けることのために生きていて、
それは、私にとって、
かけがえのない興奮と、喜びだったんです。


たしかに、
私は、わかりやすく説明するとか、
上手に話す、とかは、
当時から、死ぬほど苦手でした。


でも、私には、思いを伝える情熱と、
感情を届ける言葉があるから、大丈夫。

私の言葉で、目の前の人を本気にしてみせる。


当時の私は、
自分が想いを伝えることに対してだけは、
不思議なくらい、絶対的に
自分を信じていました。



でも、その後、
私にとっての、転機がやってきます。



当時、青春の全てをかけて
大好きだった人に、失恋をするんです。


恋愛依存真っ盛りだった私にとっては、
人生の全てが、どうでもよくなる出来事でした。
(その恋の話もこちらで書いてます。笑)

恋で、自分の価値をなんとか埋めていた私にとって、
恋を無くすことは、
自分の価値を無くすことと同じでした。


私にとって、
「人前で話すこと」は、
すごくすごく、怖いことになりました。



こんな自分が、
価値のない自分が、
誰かに話をしたところで、
聞いてくれるわけがない。

こんな自分の言葉なんて、
誰にも届くわけがない。

好きな人に愛されることが
できなかった私を責めて、嫌っていた私は、
そんな自分が、人前に立って、
自分のことをさらけ出して、思いを伝える、
そんなことをする価値なんてないと思っていたし、

そもそも、
そんなパワーもエネルギーも、
私の中から、すっかり枯れ果ててしまったんです。


本当は、
「想いを伝えて、
目の前の人の人生のきっかけになること」

仕事にして、ずっとやっていきたい。

そんな夢を、見ていたこともありました。


だけど、
心のパワーが枯れている私が、
そこに挑もうとするのは、
自殺行為のように思えました。

人前に立つことの緊張と不安を、
乗り越えていく自信がない。

さらけだして、
ボロボロになったら、
もう二度と、立ち上がれないかもしれない。



だから、
「そんなことが、私にはできるはずがない」
と思うようになりました。


私にとっての喜びだった
「人に想いを伝える」ことは、
いつしか、
避けておいたほうがいいこと、になってしまったんです。


だから、もう、どうでもいい、ことにしました。


何もしたくない、

何もやりたくない、


もう、全部、
どうでもいいことにするしか、
自分を保てる術が無くなってしまっていたんです。


私は、辞めました。

どうでもいいと、諦めました。


なりたい自分になることも、

理想の自分を追いかけることに、情熱を燃やすことも、

緊張と不安を乗り越えて、自分を喜ばせたり、達成感を感じさせることも、

傷つく怖さを越えて、自分をさらけ出すことも、

目の前の人と、感情を共有して、共鳴し合う感動も、

熱く情熱が溢れるままに生きることも、

そんなもの、全然、これっぽっちも、欲しくない、って。


そして、自分を大好きでいることも。

諦めていました。


ただ、今日を生きているので、精一杯だったから。



それからというもの、
私は、何かにチャレンジしたり、
情熱的に生きたりすることから、
少し距離を置くように生きていました。


「やりたいな」と思うことがあっても、
どうせ自分にはできないし、と
それをしている人を羨んだり、

今、それなりに生活できているんだから、
夢中になれるものなんて、
求めてはいけないんだって。

そんなことしたら、
また、心を壊してしまうからって。


でも、私という人間が、
そんな穏やかで波風立たない人生で
満足できるわけもなく、

数年間の充電期間を得て、
また激しい恋愛をするようになり、
嫉妬と執着で死にそうになって、
根本裕幸師匠のブログにたどり着いてしまったことで、
カウンセラーとしての今があるわけです。笑



講座の準備をする中で、
そんな風にして、
生きてきた自分のことを、思い出したんです。



自分は愛されない人間だって、
自分を押し込めて、
傷つかないように隠して生きるうちに、


私は、上手く話せない。

私の話なんて、面白くない。

私の話は、わかりにくい。

私は、人前で話すのが苦手。


何の疑問もなく、
当たり前のように思っていたんです。


でも、本当の私は、全然、違っていました。


私は、どれだけ、自分を隠して、
自分に嘘をついて、生きてきてしまったんだろう。


話すことで、想いを伝えること、こんなに好きだったのに。


それが自分にとっての、一番の強みだと信じていたくらい、
話すことをしている自分のこと、
大好きだったのに。


目立ちたがり屋で、
注目されたい私のこと、
そんな私は、いないことにして、置き去りにしてた。


人って、自分を嫌って、
自分を傷つけていると、
こんな風に、やりたかったことまで、忘れちゃうんだ。


夢中になれた、大好きだったことさえ、
それに没頭している自分の姿さえ、
まるで、なかったことみたいに、忘れちゃうんだ。



それくらい、私は、別の人を、生きてたんだ。


別の人みたいに、
自分の喜びだったことすら忘れて、生きてたんだ。



忘れたまま、生きていかなくて、よかった。


もう一回、思い出せて、よかった。


講師になることは、
私の夢を、もう一度、叶えてあげることなのかもしれない。


講座にチャレンジすることで、
また一つ、自分を取り戻したような気がしていました。



*****


長くなったので、
私の講師デビュー裏話第二弾は、また後日♥

(前置きが長すぎて、まだ講座の話に入れてないのが私らしいよね!笑)


これまで実際に私が開催した講座たちと、
カウンセラー仲間からもらった
感想を紹介したり、
私の講師としての今後の夢を、
熱く語っていきたいと思います♥



そんな私の、講師としての初舞台、
ぜひ、応援に来てくださったら嬉しいです。

やりたいことや、
自分を好きになることを、
『我慢』して、諦めて、生きてきた私が、
『我慢』を手放して、
素直な自分で生きること
について、
講座をします。

我慢をやめたいあなた、
素直な自分で、本音を大切にしたいあなた、
そんなあなたと、
ぜひ、一緒に、一歩を踏み出せたらと思っています♥

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