【ご相談】好きだけど、条件的には合わない元彼。執着してるだけ?この恋、突き進んでいい?

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執着なのか見分ける方法とは?
ほたるさん

昨年離婚を経験し、年末に地元に帰り、友達と忘年会をして過ごしたときのこと。
小学校から一緒で高校生の時にお付き合いをし、親密感の恐れから別れた彼に再会しました。

お互いにフリーなタイミングが合わず、お互いによりを戻したいタイミングが合わずすれ違い続ける中、私が結婚。そしてコロナのこともあり疎遠になっていました。

私が学生時代のいい子モードの時にお付き合いをしていたので、何か嘘をついているようで彼に申し訳ない気持ちもありますし、なんだか彼の前だとよく見せようと頑張ってしまう自分もいます。遠距離ということもありますし、この先のことを考えると条件的には合わないと思います。(先回りして考えるくせを発揮中)

それなのに、感情だけで結論を出すなら彼のことが好き。付き合いたい。再婚もしたい。

これは彼との思い出を美化したり、幼馴染と結ばれることに酔っていたりするだけなのか。執着しているのか。(元旦那と別れる時に散々執着しました。)それともそんなことはなくて突き進んでOKなのか。

いったいどうやって見分けたらいいのでしょうか。アドバイスお願いします!
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【ご相談】好きだけど、条件的には合わない元カレ。執着してるだけ?この恋、突き進んでいい?



執着なのか見分ける方法はね…







ないです。





最初から、身もふたもないことを言って、ごめんなさい…笑


きっと、心理学的に見ようとすれば、
あるんですよ。


「執着」しているかどうかは、
結構シンプルで、
感覚でわかると言われています。

その相手のことを思うときに、
嫌な感覚、重い感覚、苦しい感覚、があるかどうかです。


でも、
感じることを否定してきて麻痺していると、
自分の感覚がはっきりとわからなかったり、

他の感覚や感情と混じっていてわからなかったりすることもあるし、

そもそも、きっと、
今のほたるさんが聞きたいのは、
そういうことじゃない気がするんです。



きっと、
100パーセントの執着もないだろうし、
100パーセントの愛も、もしかしたら、
ないかもしれないと思うんです。

それって、
すごく混じっているものだと思うんですよ。

感情って、
ここから先は執着で、
ここからこっちは愛です、
みたいな、綺麗に分けられるものじゃないですもんね。



だからこそ、私は、全部、愛だと思ってます。

「愛したい」「愛されたい」という気持ちが
ものすごく強くて、
そこが苦しさと結びついてしまったから、
それは『執着』と呼ばれるのかもしれないけれど、

でも、元をたどれば、
「愛したい」「愛されたい」という、愛なんだと思います。


そういう思いがあるので、
執着でもいい、というか、
執着してもいいじゃない、と、
お伝えしたくなってしまうんですが、


だけど、そこで、そうだよね!と
すんなり思えるわけもないのもわかります。


「元旦那と別れる時に散々執着しました」
と書かれてるので、
きっと、執着に対して
ほたるさんの中で、
ものすごく怖い気持ちとか、
もう二度とあんな自分になりたくない、
あんな感情を味わいたくない、
そんな思いもあると思います。


『執着』っていうものに対して、
当然ですけど、傷がうずくから、
敏感になってしまって、
恐れてしまって、
すごく避けたいもの、
そして避けなければならないもの、になってると思うんです。


だけど、
人を、誰かを、本気で好きになったり、
誰かと関係を築いていこうとしたら、
執着って、
どうしてもついてくるし、
切り離せないものだと思います。


だって、
それだけ好きってことだし、
それだけ大事ってことだから。

大好きだから執着するし、
特別だから執着するんですよね。


執着できるほど、誰かを愛することができることって、才能なんですよ。


それだけ、
自分を明け渡して、
自分の身を注いで、
夢中で愛せるってことなんです。


その人のことで頭がいっぱいになって、
取り乱して、
自分が自分じゃなくなるくらいに囚われてしまうほど、
愛せる、ってことです。



そこに苦しさを感じると、
嫌なものに思えちゃうんですけど、
まずはね、ほたるさんが、
その自分の執着に対して、
否定しなくっていいんです。


だって、過去の執着の傷はね、
ほたるさんの、
愛情深さの証だし、
誰かをそこまで愛せる人である、っていう証です。



ほたるさんの中で、
結論は出てると思うんです。

書いてくださってる通り、
「感情だけで言うんだったら、彼が好きだし、付き合いたいし再婚もしたい。」
これがすべてなわけです。


なんですけど、
私たちって、
頭で、それを否定しようとするんです。

条件は合わないんじゃないかとか、
このまま、付き進んでも、悲しい思いとか傷つく思いをするんじゃないかって。


傷ついた過去の自分が、言うんです。

執着してた頃の、苦しかったころの、
あのボロボロで、どうしようもない気持ちでいっぱいだった自分が、言うんです。


「そんなことして、また傷ついたらどうするの?」


「そんなことして、またあんなに苦しい思いをするの?」


「そんなことして、幸せになれると思ってるの?」




でもね、恋って、心で落ちるものじゃないですか。

感情でするものなので、
過去の自分の声、っていう、
思考で答えを出そうとしても、
やっぱり出ないし、今の自分の心は納得しないんです。

そして、幸せも、頭で考えるものではなくて、
心で感じるもの。


だから、心が納得していない状況で
答えを出そうとしても、
幸せとは離れていってしまって、
なんだか、「正しい」「こうあるべき」を選んでいるはずなのに、
なぜか、心が満たされない、
そんな感覚にも繋がります。


だから、
執着したっていいじゃないですかっていう、
もう突き進んでから考えましょうよ、
っていう、身もふたもない理論を、
お伝えしているわけです。笑



たとえ執着しても、きっと、
ほたるさん、大丈夫なんじゃないかと思うんです。


これは、なんとなく感じるだけですけど、
何の根拠もないですけど、
でも。


元旦那さんの時、散々執着したんですよね?

でも、それを、ちゃんと苦しみながらも、
乗り越えてきた実績があります。


そして、
これも、きっと、なので、
違っていたら華麗にスル―してほしいんですけど、

ほたるさん、誰かを愛すると、
それだけ愛しちゃう人ですよね?

執着しないでおこう、
のめり込まないようにしておこう、
そんなこと、考えて立ち止まれる人じゃないですよね?


スイッチが入ったが最後、
思いっきり、
愛してしまう人なんじゃないかなあって、
思うんです。
(だからこそ、スイッチを入れるのが怖いんだとも思います)


だから、
ほたるさんのような、愛したい人にとって、
これは執着なのだろうか?
執着であれば、やめておこう、
そんな議論は、意味をなさないような気がするんです。


意味をなさないというか、
執着なのか、見分けても、見分けなくても、結局・・・



・・・ねえ?笑



ほたるさんのこの文章からはね、
「行きたい!突き進みたい!」
って、やっぱり伝わってきます。



彼との思い出を、美化したっていいじゃないですか。

幼なじみと結ばれることに、酔ったっていいじゃないですか。


もう、人生なんて、恋愛なんて、
美化してなんぼ、
酔ってなんぼ、
執着してなんぼ、だと思います。


その気持ちを抑えようとすることは、
たしかに傷つかないためには
いいかもしれないけれど、
ほたるさんの心が望む生き方とは、
きっと少しずれてしまうような気がするんです。


猛烈に心が動いたりとか、
一生懸命になれたりとか、
衝動的に突き動かされたりとか、
きっと、そういうことを、
ほたるさんの心が、
今、求めているからこそ、
彼との再会を、引き寄せたんじゃないかなと思うんです。



でも、元旦那さんとのときに
苦しかったことも事実。


だからこそ、
ほたるさんが苦しまなくていい愛し方、
関係性の築き方、
そういうことを探していくことは、
もちろん必要だとも思います。


でもそのときも、
執着なら愛さない、という、
恋を始めない前提ではなくて、

執着するほど愛してしまう自分を、
どうやって幸せにしていくか、という、
恋を上手くいかせる前提で、
考えていったらいいと思うんです。


そのためには、
まずは、

過去の痛みを、ちゃんと手放してあげること。

これまでも、
やってきたかもしれませんが、
元旦那さんとの別れを、
執着してしまった嫌な過去、苦い過去、
ではなくて、
愛した証に、してあげてください。


執着してしまった過去の自分を、
否定し、嫌い、ダメな自分として扱うのではなくて、

それだけ傷つくほど、
本気で人を愛した自分として、
認めて、褒めて、堂々と誇ってあげてください。


額に入れて、飾ってあげてもいいくらいです。

だって、散々執着するほど、
本気で愛したこと。

それは紛れもなく、愛の勲章じゃないですか。

「よく頑張ったね」と。

「私はあなたを誇りに思うよ。」と、

ぜひ、一番苦しかったときの自分に、
そして、それを乗り越えてきた自分に、
伝えてあげてください。


そして、執着するほど愛せることを、
魅力として、才能として扱ってあげてください。


そして、もうひとつお伝えするとしたら、
きっと、ほたるさんは、
今でも、
彼の前だといい子モードが発動しちゃうくらい、
ずっとずっと、
いい子をしてきたのかなと思うんです。


先回りして考えることがクセになるくらい、
ずっと、失敗しないように、
枠からはみ出さないように、
自分を抑えてやってきたのかもしれません。

それが、本当のほたるさんを、
閉じ込めてしまって、
どこかで、窮屈な思いをしてきた部分もあったんじゃないかなって。


だからこそ、
恋愛には、刺激を求めたくなる。

そんなほたるさんも、いるんじゃないかな、と感じます。


だからこそ、
ほたるさんにとっては、
これまでの「いい子」の枠から出て、

今、本当の自分のしたい生き方や、
本当に欲しい幸せを、
ちゃんと考えていっていいし、

それは、頭で感じるのではなく、
心で感じていっていい。


そして、
自分も相手も、
本当に幸せにしていくために、
ほたるさんの大きな愛を、
才能として扱っていく。

そんなタイミングなんじゃないかと思います。


彼との恋がどうなるとしても、
ほたるさんが、
心で幸せを感じながら、
生きていくための選択ができますように。

心から、応援しています。



今、これを読んでくれている中にも、
執着したくない、
執着するような恋はもう二度としたくない、
と思っている方も、少なくないと思うんです。


このブログは、執着して生きてきた私が、
私のようなあなたに向けて、書いてますから。笑


大丈夫。

執着するほど愛したい人はね、
そもそも、
執着の痛みを経験したくらいで、
誰かを愛することをやめられないんです。


残念ながら。笑


またどうせ、突き進んで、
愛しちゃうんですよ。

でも、それがあなただから、それでいいんです。

あなたは、
何度傷ついたって、
何度でも乗り越えて、また、人を愛せるから。


そんなあなたが、
心から人を愛することを、
諦めないでいられるように、
私はカウンセラーをしています。

執着が、苦し過ぎて、
もう駄目なんです、
辛いです、苦しいです、っていうあなたは、
私に会いに来てください。

私と一緒に、
執着さえ愛して、生きていきましょう。



愛野ひと

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