「お母さんが、私を離さないのではなくて、私が、お母さんを、離さずにいたんですね。」

心理学講座

愛情アーティストの愛野ひとです。


ひとりのクライアント様が、セッションの後に、こんな気持ちを、教えてくださったことがあります。

「ああ、お母さんが、私を離さないのではなくて、私が、お母さんを、離さずにいたんですね。」

そのことに、気付きました、と。


「お母さんより、私が離れられないのに、それをお母さんのせいにするという、巧妙なやり口で、いままでやってきたのだな…」とも。



私たちは、お母さんと、繋がっていたいんです。
どうしても。
何が何でも。

たとえ、それが、苦しい痛みを伴うとしても。


私たちは、生まれるとき、
お母さんとへその緒で繋がっています。


そして、この世に生まれてきて、
へその緒という物理的な繋がりが切れて、
心という、目の見えない繋がりで生きていく。


そのときに、
もちろん、愛で繋がりたいと望むけれど、
でも、愛で繋がれないと感じたとき、
「繋がらない」を選ぶことって、できなくて。

痛みでも、繋がろうとする、と言われています。


「愛で繋がれないなら、痛みで繋がろうとする」


私も、それを初めて聞いたとき、
「そんなわけないだろ」って思いました。

でも、そんなことありました。
ありすぎました。

私の場合は、「寂しさ」とか、「孤独」とか、「ひとりぼっちの感覚」でした。

その痛みを感じることが、
お母さんを感じることと、
同じになってしまっていたから、
そういう感情を、私の人生から、追い出せなかったんです。

むしろ、積極的に、感じに行ってたよね、うん。



痛みでも、繋がってるほうが、まし、なんです。
お母さんとの間に、何もなくなってしまうよりも。
本当にひとりになるよりも。


そうまでしてでも、
お母さんと、繋がっていたいと望むんです。

そこには、もちろん、お母さんへの愛があります。

「愛したい」も、「愛されたい」もあります。

だって、今は、
こうして、別々の体になってしまったけど、
もともとは、繋がれていたのだから。

お腹にいるとき、同じだったのだから、
その頃のように、全身全霊で、
自分にできることはないかって、
お母さんを助けようとします。

小さい頃、まだまだ私たちが、
純粋だったあの頃、
それくらい、お母さんが大好きで、愛そうとします。

そして、大好きだからこそ、愛されたいと、望みます。



だけど、その愛が、
伝わるときばかりではなくて。

「愛を伝えたい」と望んでも、
受け取ってもらえなかったり、
否定されたり、
わかってもらえなかったり、

「愛したい」と望んでも、
拒否されたり、
何ももらえなかったり、
むしろ愛以外の怒りや痛みで返ってきたり、

そんな経験を重ねる度に、
「お母さんなんて大っ嫌い」が積み重なっていきます。


でも、
「大好き」から始まった「大嫌い」だから、
本当の、純度100%の大嫌いじゃないんです。


「大好き」もあるのを自覚しているから、
余計に苦しいって人もいるかもしれません。


いっそ、思いっきり、嫌いになれたら、
楽なのかもしれません。

「お母さんと私は、別々の人間よ」
って、お母さんの愛に、
何の未練もなく、
さっさと割り切れたなら、
楽なのかもしれません。


でも、お母さんと愛で繋がれなかった、
と感じていればいるほど、


「怒り」や「悲しみ」や「苦しみ」
の繋がりが、
なかなか、切れなかったりします。


私たちが娘、でいるころに、
お母さんへの未練を残しているほど、
その繋がりが、大人になっても残っていきます。


そして、その未練を解消するまでは、
ハチ公も驚く忠犬っぷりで、

「絶対絶対、ここから離れない!」

「離れてなんて、やるもんか!」

と、思います。

そこが、どんなに、暗い場所でも。
どんなに、あなたが痛いと感じていても。


だけど、それって、当然、苦しいんです。

自分を幸せにするための人生じゃなくて、
お母さんに認めさせるための人生、
になってしまうこともあります。


だから、
自分で、繋がることを選んでいる、
なんて、認めたくないわけです。


ありえないことにしておきたいんです。

絶対、絶対、認めたくないんです。


だから、今度は、お母さんのせいにして、

自分を幸せにしないこと、
自分を自由にしないこと、
自分を縛ること、
で、
「私がこうなったのは、お母さんのせいよ」って、叫んでいきます。

もちろん、実際に叫ぶかは別です。


でも、
怒りや苦しみや悲しみに囚われてしまう。

とか、

なぜか、幸せになれない道ばかりを選んでいる…

とか、

幸せなんてなれるわけがないと感じる。


そんな自分がいるとしたら、
今の自分を幸せにすることよりも、
お母さんに叫ぶことを、無意識に、優先しているってことなんです。


お母さんが、謝ってくれるまで、
お母さんが、認めてくれるまで、
お母さんが、わかってくれるまで、
お母さんが、もういいんだと、許してくれるまで、
お母さんが、別人のように生まれ変わってくれるまで、
お母さんが、私を、自由にしてくれるまで。



でもね、きっと、もしも、
お母さんが、それをしてくれても、
あなたは、そこを、離れることができないかもしれません。


「謝ったって、許せるわけない」
「こんなものじゃ、私の気はすまない」
「本気で言っているわけがない」

って、思って、
また新たな怒りと疑いを持ち出して、繋がろうとするかもしれません。


そりゃあ、そのはずなんです。
そりゃあ、そんなものじゃ、気が済まないんです。


だってね、一番最初に、
あなたがほんとのほんとにしたかったのは、

お母さんに、謝らせることでも、
お母さんに、認めさせることでも、
お母さんに、わからせることでも、
お母さんに、許させることでも、
お母さんに、別人のように生まれ変わらせることでも、
お母さんに、自由にさせてもらうことでもなくて。



お母さんに、思いっきり、愛されること、じゃないでしょうか。
お母さんに、思いっきり、愛させてもらうこと、じゃないでしょうか。


お母さんと、愛で繋がること、だと思うから。


だからね、まずは、
「私は、こんなに苦しんでまで、お母さんと繋がっていたかった」


そのことに、どうか、気付いてあげてください。


だって、
あなたの人生が苦しいことで、

あなたが、お母さんと繋がっていたことを、
あなたの人生に、
お母さんが莫大なる影響を与えていることを、
証明したかったんです。

あなたの人生をかけてまで。

お母さんに、わかってもらえるまで。


そのために、
こんなにも怒ってきたあなたって、

どれだけ、健気なんでしょうか。
どれだけ、本気の愛、なんでしょうか。

たくさん、怒ったと思います。
たくさん、泣いたと思います。
たくさん、傷ついたと思います。
たくさん、悲しんだと思います。
たくさん、痛かったと思います。


その分だけ、あなたは、
「愛したい」「愛されたい」って、叫んできたんです。


それは、愛がなかったからじゃありません。

ほんとにほんとに、
一ミリも愛がなかったら、何も思わないはずなんです。


愛があったから、「愛したい」「愛されたい」って、叫んできたんです。


あなたの中に、
ちゃんと愛があることを、
あなたが、わかってあげてください。


愛がないと感じるのは、
あなたが、あなたの愛を、
無いことにしているから。


あなたが、あなたの愛を認められるまで、
愛がどこにもないって、
探し続けちゃうんです。


だから、お母さんに対して、
そして、彼に対しても、
旦那さんに対しても、
パートナーに対しても、
愛を追い求めることが、続いちゃうんです。


「私は、こんなにも、お母さんと繋がっていたかった」


そこに気付き、認めることができたら、
お母さんのために苦しんできた
あなたの人生を、
愛に変えることができるから。

認めても、認めなくても、
あなたの中に、すでに愛はあるんです。

どうせあるんだから、
その愛を、輝かせて、生きていける。

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