「さみしい」を我慢して、ずっとあなたを愛してきたよー21年間、家族に言えなかった言葉ー

言わない、という愛し方

母方のおばあちゃんと、
21年間分、抱き合った翌日。


「あのとき、もっと愛のことを抱きしめてやればよかった」
-おばあちゃんと私の21年間の遠回り-



二日連続で、
また、過去の忘れものを取り戻すチャンスがやってきた。

お母さんが、
「もういいんだよ」って、
「もう、降ろしていいから、とっとと幸せになりな」って、
心の荷物を降ろすことを、
手伝ってくれたような、
そんな気がした。




母方の祖父母に、
これまでの自分の想いを話して、
わかりあうことができた私。

でも、私にとってのボスは、
どちらかというと、
父方の祖父母だと、わかっていた。

ずっと一緒に暮らしてきて、
私の成長をずっとそばで見守り続けてくれたのは、
父方の祖父母だったから。

当たり前のように我慢して、
気持ちを溜めてきた、
時間が長いから。

それはそれは大量のさみしさが、
溜まってしまっていて、

気を遣うことで、
直接そこに触れ合わないことで、
爆発するのを防いで、
日常を守ってきたんだ、と思う。


だから、過去を取り戻すのであれば、
父方の祖父母と話すことは避けられないのだけど、
どういうタイミングでそういう話をすればいいのか、
21年間も、避けて避けて避けてきたから、
やっぱりわからずにいた。

だけど、チャンスはやってきた。


私は、この年になっても、
実家に帰省するたびに、
お小遣いをもらっている。


昔は、
甘えているなあという後ろめたさが大きかったのだけど、
それも、
家族みんなの愛だと思ってからは、
今は、ありがとう、と
心から喜んで受け取っている。


お小遣いをくれたおばあちゃんが、
「普段、何の仕送りもしないし、
贈り物もしてやらないから、その分だよ」と、
いつも言ってくれる言葉をかけてくれた。


「私が仕送りをするくらいの年齢なのに、
私こそ普段何もしないで、何も孝行できてないね」
と、いつも思っていることを、
つぶやく私。


「そんなことないよ。
小さいときから、愛は優等生で、おばあちゃんは鼻高々だった。
それだけで、十分に親孝行だったよ。」

「愛は、本当に手がかからない子だった。
だから、愛のことを育てるのが大変と思ったことなんてないよ」


そういうことを折に触れて、
いつも言ってくれるおばあちゃん。

いつもの私なら、ありがとうって、
私も少し誇らしくなって、にこにこして聞いてた。



でも、その日の私は、
違った。


今日は、それでは、いけないと思った。


今は、わかるから。


その頃の、小さな私が、
どれだけ頑張ってきたか。

当たり前のように勉強することが、
当たり前のようにいい子でいることが、
どれだけ大変だったか、
わかるから。

当たり前のように手のかからない子でいるために、
どれだけ我慢してきたか、
今なら、わかるから。


だから、小さい私の名誉のために、
「頑張ったんだよ」と、言った。


そしたら、おばあちゃんから
思ってもない言葉が返ってきた。


「そりゃあそうだよ。
愛は、本当によく頑張ってたと思うよ。
おばあちゃんは、本当にそう思ってたよ」


……ああ、わかってくれていたんだ。

そりゃあ、そうか。
わからないわけ、ないか。
こんなに愛してくれたんだものね。


そこで、私は泣きそうになって、
言葉が続かなくて、
でも、まだ、おばあちゃんもおじいちゃんも、
いつものたわいもない日常会話の感覚でいるらしく、
こちらに向けていた目を新聞に戻していたから、
私が泣きそうなことには気づかないまま、
他の話題に移りそうになった。


だめ、と思った。


まだ、一番大事な気持ちを言えてない。


「さみしい」


って、言葉。


お母さんが死んだ日に、
封印した言葉。


私がそれを言ったら、
お父さんが、
おじいちゃんが、
おばあちゃんが、
悲しむと思ったから、

言ってはいけない、と、


心の奥の奥に閉じ込めて、


21年間、
ふたりの前では、
まだ、一度も言えていない言葉。


さすがにすぐには、出てこなかった。


言おうとすると、どうしても、
言葉より、
涙が先に上がってきてしまう。


泣きそうになって、
笑ってごまかしてみたけれど、
もう、ごまかすのは必要ないよって、
小さな私が、背中を押してくれた。


だから、涙声で、
「泣いちゃうよね。」と、言った。

「そりゃあ泣けるよな。」と、おばあちゃん。


でも、前向きで明るいおばあちゃんは、
「おばあちゃん、泣くよりも、同じ生きるなら、
笑って生きなって、言ってきたもんな」
と、悪気なく、むしろ優しさで、
いつもの調子に戻そうとした。


だけど、
だからこそ、
私は、
自分の気持ちを、
ちゃんと言わなければいけない、と思った。



「私、さみしかった 」



「私、お母さんを亡くして、本当に、さみしかった 」



「でも、『さみしい』って言ったら、
私が、悲しそうな顔をしていたら、
みんなが悲しむと思ったから、
我慢して、言わずに、頑張ってきたんだよ」



ああ、言えた。
21年間、言えなかったこと。

言いたいって思うことさえできないくらいに、
封印し続けて、
ずっと私の心の中で、
悲しみのダムに、
溜め続けてきた気持ち。


そのダムを、やっと壊せた。
本当に、ダムが崩壊したみたいに、
泣けて泣けて仕方なかった。


いつの間にか、
おじいちゃんも、新聞を置いて、そっと泣いていた。


「本当に寂しかったと思う」と、
おばあちゃんは言った。


「本人にしか、わからない、悲しみがあったと思う。
どれだけ切ない思いをしてきたか、わからないよ」


「でも、愛はそれを見せずにやってきた。
本当に愛はすごいな、と思ってた。
それはどれほど頑張ってきたか、と思う。」


私の頑張りは、
痛いほどちゃんと、伝わってたんだ、と思った。

やっぱり、触れないようにしてきたのは、
みんなの愛だった。


そして、
「愛が、そういう気持ちで、
ずっと頑張ってるのを知ってたから、
一人でどこかへ行きたいって言ったときに、
反対しなかったんだよ」と言った。


私は、昔から、
どこへでも、一人で行ける子だった。

普段の買い物も、お金だけもらって、
一人で行ったし、
高校時代は、
大好きだった他校の先輩の部活の試合を、
片道3時間、電車を乗り継いで
観に行ったこともあるし、
新幹線に乗って、インターハイを見に行ったりもした。

今思えば、
同じ部活の子を連れて行ってもよかったと思うけれど、
そのときの私に、
友達と一緒に行く、
という選択肢はなぜか無かったことを
思い出した。

家族の中で、
ひとりっこだし、
お父さんも仕事だし、
祖父母をそんなに遠くに連れまわすこともできないし、
という理由がいつもあったから、
1人で行く、ということしか、
選択肢にはなかった。

それは、私の中では、
みんなに迷惑をかけないように、
1人で出かけている、と思っていた。


でも、おばあちゃんの言葉で、
気が付いた。


そうか、あれは、
私の心の旅でもあったんだなって。

そんな風に、
一人の時間を持つことで、
私は、私を保っていたんだなって。


「一人でどこかに行くっていうとき、
ああ、きっとこの子は、
気持ちを発散したいんだな、と思ってたよ。
でも、そういうことを言うとまた気を遣うかもしれないから、
言わなかったけど。
だから、一度も反対したことないよ」、と。


わかっていても、
何も言わずに見守るっていうのは、
どれほどもどかしいことだったんだろう。

でも、うちの家族は、
私も含めて、全員で「言わない」愛を貫いた。


「お友達と遊んだりも、
愛が寂しくないようにって思って、させていたんだよ」と、
おばあちゃんは続けた。


おばあちゃんもおじいちゃんも、
友達のお母さんお父さんと変わらず、
やってくれた。

おばあちゃんは、
「そんなことしか、できなかったから」と
言った。

だけど、
世代の違う、
20歳も年下のお母さんたちと同じように、
お誕生日会をしたり、
毎日お弁当を作ったり、
運動会には必ず見に来てくれたり、
授業参観で立ったまま授業をみたり、
毎朝送り迎えをしたり、
部活のために早起きして朝ごはんを作ってくれたり
するのは、本当に大変だったと思う。


でも、年頃の私は、ずっと、
その想いに素直になれなかった。

授業参観にみんなお母さんが来る中、
自分だけが、
丸坊主のおじいちゃんが来るのが嫌で、
「あれ、誰のおじいちゃん?」とみんなが騒いでも、
知らないふりをしていたこともあった。

「おじいちゃんじゃなくて、おばあちゃんがいい」と、
言ってしまったこともある。

お父さんには反抗できなくて、
思春期の反発がおじいちゃんに向いたこともあった。

おばあちゃんが
いつも頑張って家事をしてくれるのに、
なかなか素直に手伝えなかったし、
からだが辛そうなとき、
どう接したらいいのかわからなくて、
何もしなかったときもあった。


何度、傷つくような態度をとったかわからない。
後悔していることなら、
山のようにある。


でも、私も、心のやり場がなくて、
必死だったんだと、今は思う。


そういう私も全部包み込んで、
おばあちゃんもおじいちゃんも、
本当に、必死に、愛してくれた。



私は、もう少し、続けた。


「私も、あのときは、
さみしさを見ないふりしないと、
生きてこれなかったから、
我慢してきたけど、

でも、今、大人になって思うと、
もっと、子供らしく、
さみしいって、叫んで、
泣いて、ちゃんと悲しめばよかったって、思う。

でも、みんながそこに触れないのも、
私のことを悲しませないようにするためだって、
わかっていたから、
大人になって、こういう風に話せて、
本当によかったと思う」


「そうだよ。
涙も見せず、やってきたんだから、
どれほどすごいことかわからないよ」
と、おばあちゃん。


「お金や生活の面では好きにさせてもらったし、
苦労したことはないけれど、
心は、本当はずっとさみしくて、
大人になってから、
上手くいかないこともあったし、
悲しい思いをしたこともあった。

だから、心の勉強をするようになって、
今、あのときに言えなかったことを言って、
泣いて、また改めて乗り越えているところ」
と、ボロボロに泣きながら、伝えた。


そんなべらぼうに泣いている私をみて、
おばあちゃんが、
励まそうとして、言った。

「これで、過去を振り返って、
悲しんでばかりいても、いけないよ」と。


その言葉を受け止めて、私は、言った。


「私が振り返るのは、悲しむためじゃないよ。
前を向くための涙で、
乗り越えるための涙なんだよ」

「お母さんの死を無駄にしないための涙だから、
こうやって、
今泣いて、それを乗り越えていくことで、
お母さんも、それでこそ私の娘って、
言っていると思う」


おばあちゃんは、
少し考えた顔をして、
「…そうだね。そうだよね。」と言った。


そして、
「普通、忘れるために、
思い出さないのが普通なのに、
前向きにとらえて乗り越えていこうとする、
愛はすごいね」
と言った。


「それは、私が、心のことを学んできたからだし、
今、すべてが必要なことだったと、
思えているからなんだよ」


「だから、ここまで育ててくれて、ありがとう」
と。


ずっと、話したいと思ってきた、と。


もう80歳を超えて、
いつ、お別れのときがきてもおかしくない、
育ててくれたおじいちゃんとおばあちゃんに。


元気なうちに、伝えたいと思っていたから。


間に合って良かった、と、伝えた。


もう、心のダムに、
悲しみは残っていない気がした。


「あとは、愛が幸せになるだけだね」

「私が、幸せにならないわけはないと思っているから、
最高の男と出会って、最高に幸せになるよ」
と言って、笑った。





その夜も私は、
バケツ2杯分くらい泣いた。

人って、
こんなに泣けるんだなって、
思った。

今この瞬間のことではなくて、
過去のことなのに、
こんなにも、涙がでるものなんだ。

でも、それは、それだけの想いを、
心に溜めていたってこと。

ずっと、それを抱えながら、
耐えて、耐えて、
頑張って、頑張ってきたってこと。


人って、愛する人のためなら、
そんなにも頑張れてしまう。


そして、感情は、
こんなにも強く、変わらず、
時間を越えて、続くもの。

そんなにも大きな存在を、
見て見ぬふりしたり、
我慢したり、
ましてや体の中に立派なダムまで建設して、
溜め込んでいたら、
そりゃあ、体に悪いわ。


よく頑張ったね、私。


21年間。


ずっと抱えてきたね。


さみしさを溜め続けた大きな大きなダムは、
私の愛の器になったよ。


さみしさは、
悪者じゃない。

さみしさを知っているからこそ、
分け合いたいと思えるのだと思うから。

死んでしまうようなさみしさを
知っているからこそ、
命を燃やして、誰かを愛せるから。


どんなに寂しくても、

私が笑顔でいることで、
安心させたかった。


私が強く正しくいることで、
守りたかった。


愛する人たちの寂しい顔は、
見たくなかった。


だから、
我慢することで、あなたを愛してきたよ。
言わないことは、私の愛だったよ。


何も言わずに、
何も聞かずに、
見守ってくれて、ありがとう。


「言わない」ことで愛してきた家族の、
愛の答え合わせ。


言わなくても、わかってくれるなんて、
思わない。
言わなくても、伝わるなんて、
思ってない。


だけどね。


私の、
何も問わずに、信じて、見守る愛し方は、
大好きなおばあちゃんの愛し方と同じ。


自分がどれだけ傷ついたって、
それでもまるごと背負おうとする愛し方は、
大好きなおじいちゃんの愛し方と同じ。


言わなくたって、
同じ愛し方をしてたよ。


わかってもらうために、
愛したわけじゃないけれど。

わかってもらえないとしても、
きっと愛していたけれど。


本気で愛したことは、
きっと、言葉も時間も超えて、
伝わっていくのだと思う。


だから、これからも、
愛する人のために、
愛してくれる人のために、


自分の信じる愛を、
伝えていくよ。


自分の愛を、
伝え続けるよ。


おじいちゃんとおばあちゃんが、
心で教えてくれたように。



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コメント

  1. 福田朋子 より:

    突然すみません。ずっと以前から根本裕幸先生のファンでした。愛野ひとさんの文章に涙が止まらなくて…本当にタオルが必要でした(苦笑)
    私にとって愛野さんの全ての言葉が、胸に刺さります。本当にありがとうございます。また私の居場所が見つかった気がして。つたない言葉でしか伝えられませんが感謝の気持ちです。

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