「あのとき、もっと愛のことを抱きしめてやればよかった」-おばあちゃんと私の21年間の遠回り-

家族

生きていると、
残しておきたい瞬間というのが、確かに存在する。


文章に残さなくても、
きっと心に残るだろうけど、
でも、今日のことは、言葉にして、
残しておきたいと思う。


年を重ねて、
今日の記憶が古くなっても、
感じられるように、
心の温度を、
刻んでおこうと思う。


そんな、5月の連休の話。
(時差がすごいのが私のブログの特徴でございます)

自分の心と、愛する人を、
過去ごと抱きしめた話。

とても幸せなことなのだが、
私は、父方、母方両方の祖父母が、
今もそろって元気でいる。


同世代の友人でも、
全員そろって元気なのは、
すごくめずらしいと自覚していて、
母を幼い時に亡くした分、
まるで、天に見守られているみたいだ、
と思っている。


「愛に、もうこれ以上のつらい思いはさせてはいけない」


幼い頃に母を亡くした私に対しての
その頃の家族みんなの、
暗黙の合言葉だったと思う。

その合言葉を、
直接家族に聞いたのかどうかは
忘れてしまったけれど、
でも、言われなくても、
ひしひしと伝わっていた。


そんなみんなの愛情に守られて、
私は育ってきた。

みんなの愛情を一心に受けて、
優等生として、
みんなを喜ばせた学生時代。

ひとりっこの私は、
自分が明るくしなくてはならないと、
自分が悲しい顔をしていてはいけないと、
抱えきれないほどの寂しさを
小さなのどに何度も飲み込み続け、
いつしか飲み込む必要もないように、
寂しさを封印した。

私の純粋無垢な愛情は、
みんなの寂しさを小さい背中に抱え込んで、
嫌でも大人になることを選んだ。


そんな私は、やはり心のどこかで、
窮屈さを感じていたのかもしれない。


自由に、なりたかった。
自由に、さみしいと言える環境がほしかった。
自由に、わんわん泣ける環境がほしかった。


それは、東京に行きたい、という願いとして、
ずっと、小さいころから、
私の心の中に確固たる信念を確立していた。

だから、やっと高校を卒業して、
親元を離れられるときは、
さみしさより、
すがすがしさと期待でいっぱいだった。


地元の大学に行ってほしい、という
提案を、迷いなく振り切って、東京で過ごした。

東京の大学を卒業するときは、
こっちに戻ってきて就職してほしいという願いを
はねのけて、そのまま東京に残った。

私が生きていくのは、東京しかない、
と思っていた。

ずっと、好きにやらせてもらってきた。


家族のことが嫌いなんじゃない。
すごく感謝もしている。
親孝行もしたいと思う。

でも、家に帰って家族とともに生活することは、
私の自由な人生からは、
ほど遠いことのように思えた。

感謝はしていたけれど、
どこかもどかしい感情や、
大人になり切れない感情があって、
気を遣う関係からは、抜け出せないでいたのかもしれない。 

母を亡くした瞬間に
嫌でも大人にならなければならなかったから、
本当の意味で大人になることに、
抵抗があったのかもしれない。

でも、せめて元気な顔を見せようと、
年に3回は今も帰っている。

数年前から、母方の祖母が、
「おばあちゃんたちが死んだら、この家は愛にあげるよ」
と、言うようになった。

正直、地元に帰る気はないから、
もらっても、困るなあ、という気持ちで、
のらり、くらり、かわしてきたが、

ついに、
そういう内容の遺言を書いた、と、
父方の祖父母に言っていたらしい。

母方の祖父母はどちらも足が悪いので、
それを父方の祖母が気遣い、

「死んでから孫にあげるなんて言わずに、
自分たちが生きているうちに売りに出して、
そのお金で施設に入って、
暮らした方がいいんじゃないか」

「愛がもらっても、
近くに住んで管理できるわけじゃないから、
家なんてすぐに売れるものでもないし、
大変なだけだから」

ということで、
ちゃんと話してきなさい、
という任務が言い渡された。

叔母からも、
「二人の面倒を愛が見れるわけではないから、
二人が家でそのまま暮らしていくのも大変だからって、
ちゃんと伝えるのよ」
と、追加指令。

たしかに、
大変そうだから、そうしたほうがいい
くらいの気持ちで、
翌日、父方の祖父母の家に向かった。

なかなか、言い出せない。


もともと、お母さんを亡くしてから、
その話題に触れてこなかったという事情もあって、

大事なことを家族と話す、

ということにめっきり耐性がない。

いつもなら、
この家は愛のものだよ、とか
話の流れで言ったりするが、
人生、ここぞというときには話題に上がらないものだ。

突然、家の話をするのもわざとらしいかな?とか、
どう切り出せばいいのか、
よくわからないまま時間が過ぎた。

そのとき、将来の話で、
結婚の話から切り出そうと、ひらめきが降りてきた。

こういうときの自分の直感は、
信頼に値する。


「友達の結婚式が毎月続いているよ」

「私も、今、将来の旦那様を探しているよ」

そう話す私に、
「愛がひとりなのは心配だから、妥協しないなんて言ってないで…」とおばあちゃん。

「でも、私は、こっちに戻ってくるつもりはないから、
二人のことのほうが心配だよ
突然思いついた切り出し方だったけど、
本心で、のどから芋ほり式に、言葉が出てきた。


「愛には、愛の人生があるんだから、
おばあちゃんたちのことを背負わなくていいんだよ」

「年金で、足りるように生活をして、やっていくから」
と、おばあちゃんが言ったので、

「家のことも、私にあげるなんていわないで、
二人のために使ってほしい」

そう、言えた。
すごく本心だった。

そして、
「私がそばにいて面倒をみれるわけじゃないから、
私は、もう十分すぎるくらいの
ことをしてもらってきたから、
この家を売って、施設に入るお金の足しにしたり、
二人のために使ってほしい」
と、伝えた。


でも、「施設には入らないよ」と、おばあちゃんは言った。

どうして?と聞いた。

そうしたら、「自由がなくなるから」と、
答えた。


「おじいちゃんと二人で施設に入ることがいいって、
言う人もいると思う。
でも、この自分の家に住んで、
好きな時にオセロして、
好きなように庭いじりをして、
気ままな自由な生活を、失くすつもりはないから、
暮らせるうちは、這いつくばってでも、この家で暮らす」
と言った。

さすが、私のおばあちゃん。

それでこそ、私のおばあちゃん。

私だって、自由を手に入れたかった人間だから、
気持ちは痛いほどわかった。

おばあちゃんも、
たとえ体が自由じゃなくなっても、
心の自由を、
手放すつもりはないんだね。

あっぱれ、おばあちゃん。

そして、わかり合った。

生きているうちに、
この人たちから、
自由をとりあげることなんて、
私にはできない。

そして、
「愛に何か残してやらないと、愛のお母さんに申し訳ない」
と言った。

だから、私は、言った。

確かに、悲しい思いもしてきたけど、
あの経験があるから今がある、
必要な経験だって思えているから、
だから、
申し訳ないなんて、思わなくていいんだよ、と。

私は、泣いていた。


「愛の気持ちもわかった。
だから、泣かなくていいんだよ」と、おばあちゃんは言った。

そして、
「この家は愛にあげるから、
おばあちゃんたちが死んでから、
売るでもなんでも好きにしな」と。


正直、税金かかって大変そうだな、
売り手なんかつくのかな?とか思ってた。

ごめん。

でも、おばあちゃんたちの自由を守り切った後の後始末なら、
私がいくらでもする、
もし今の家じゃ不都合になったら、
私がリフォームして、最後まで暮らせるようにしてあげたい。

だから、安心して自由をやりきってね、
そういう気持ちになった。

そんなお金、いくらでも出せるくらい、
ちゃんと稼げる人になろう、と。



そして、これまで話してこなかった時間を取り戻すように、
話してくれた。

5年、心療内科に通ったこと。
娘がいなくなってしまった、と、思っていたこと。
でも、あ、孫がいると思って、
大丈夫になったんだ、ということ。

もう20年たったから、
毎日を楽しんで、生きたいと思ってること。

一瞬一瞬を残せるように、
デジカメがほしいと思ってること。

そんなことを、話してくれた。

母を亡くした直後は、

「愛がきたら天国で、
愛が帰ると地獄みたいだな」と、
おばあちゃんの様子を見て、
おじいちゃんが言っていたんだ、と。

「愛が帰ったあと、
ご飯を食べていたら、
涙が止まらなくて、
せめてもの気分転換で、
ドライブに行こうって、おじいちゃんと行くんだけど、
涙がとまらなくて、山梨まで行っちゃったことがあった」と。

愛のことを、
ゆかって呼んだことがあったでしょう?

愛は、「また間違えてるー」って、
ほほを膨らませて言うんだけど、
頭の中は、ゆかのことでいっぱいだったよ。

だから、
今になって、
あのころ、
愛のことを、もっと抱きしめてあげればよかった、と
後悔している、と。


それは、今からでも間に合うよ、
と、私は、力いっぱい、おばあちゃんを抱きしめた。


おばあちゃん、
間に合ってよかった。


おばあちゃんだって、
つらかったよね。


どうやって生きていけばいいか、
どうやって笑えばいいか、
わからなかったよね。

暗闇の中で、必死だったよね。


娘を亡くした悲しみを、
小さな私に、見せないように、
娘の残した私に、娘の面影を重ねながら、
どれだけ、我慢してたんだろう。
どれだけ、泣きたかっただろう。


それは、
娘を亡くした母親が、
娘の愛する娘である私の前で、
決して見せないようにしてきた姿だった。

抱きしめ合いながら、泣いた。
泣けて、泣けて、仕方なかった。

ずっと隣で、
テレビをみてるふりをしていた
おじいちゃんの目にも、
光るものが見えた気がして、
さらに泣けた。


そして、ひとしきり泣いて、
「こういう話をしてこなかったね。
あの時は、愛がまだ小さかったから。
でも、もう大人になったもんね」と、笑った。



ねえ、お母さん、見てる?


お母さん、私、大人になったよ。

おばあちゃんと、こんな風に話せたよ。

お母さんの死で、ぽっかり空いた大きな穴。

でも、私は、その穴の大きさの分だけ、
こんなにも、情熱的で、芯のある大人になったよ。

その大きな穴に、
いっぱいの愛を蓄えた、大人になったんだよ。

その愛で、
大切な人を、
抱きしめて、
抱きしめて、
生きるよ。


おばあちゃんと私の、21年間の遠回り。


その夜は、
このことを文字に残しながら、
私は、涙が止まらなかった。

21年間分の涙。
21年間分の愛。

これからも、
間に合ううちに、抱きしめて、
私は、生きていくよ。

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