あなたの期待に応えられなくて、ごめんなさいー接客業を挫折し続けてきた私の罪悪感ー

仕事

前回まで、
自分の愛について、
たくさん見つめてきた。

前回の記事で、
一周できた気がして、
一旦落ち着いたと思っていたら、
今度は、仕事界隈が、
慌ただしくなった。

というか、
自分で、
慌ただしくなるように仕向けた、
というのが、正しいのかもしれない。

刺激の必要な人間というのは、
これだから困る。


今この状況を乗り超えるには、
ずっと目をそらしてきた、
私の仕事人生についても、
目を向けざるを得ない気がして、
これを書いてみた。

カウンセラーは別として、
1に恋愛、2に恋愛、3に…(以下割愛)という
たぶん22番目くらいに、
仕事がかろうじて入るかな、
という感じだった私の人生で、
仕事、というものに対して
スポットライトを当てる日が来るとは、
思わなかった。


何年もほっといてしまって
すっかりさびれてしまった別荘(持ってないけど)に
久しぶりに入るような気持ちで、
仕事に対する気持ちに
足を踏み入れてみたら、

それはそれは、
凄惨な現場が広がっておりました。
罪悪感が、両手を広げて、
私の帰りを待っておりました。

ええ、アスリート冥利につきます。
誠に恐れ入ります。

というか、これまで、
よくこっちをほっといて、
恋愛に振り切って生きてこれたな、
と思うくらい、
痛かった。

恋愛バカと思いきや、
恋愛以外のことも書けるってところを
お見せしまっせ (?) 、
みたいな気持ちで書き始めたら、
全然止まらない。

出てくる出てくる過去の後悔。
気付けば10,000字以上書いていた。

これまでのどの記事よりも長い(笑)

仕事を、
人生で重要ではないもの、
というポジションに追いやってきた裏側には、
自分を責めていたせいで、
そこに情熱を傾けることを諦めてしまった、
かつての私がいた。

傷だらけ恋愛アスリートは、
仕事でも傷だらけでした(笑)


みっともなくて、
かっこわるくて、
誰にも言えなかったようなこと。

無かったことにして、
心の奥で燻り続けていたこと。

『期待通りじゃなくて、ごめんなさい』という、
私の、罪悪感。


これまでの記事と比べると、
出来事の描写が多く、
単調で長く感じるかもしれませんが、

その瞬間と、
その時の感情を思い返しながら、
ひとつひとつを、
順番に、手放すように書きました。

10,000字を
そのまま放出するのも気が引けたので、
3回に分けて、
載せることにしました。

もしご興味あれば、
私の過去の手放しに
お付き合いくださったら、
嬉しいです。





私は、接客業を挫折してきた。


一度きりではない。

何度も、何度も。


1回目の挫折は、
高校のときの進路選択だった。

本当は、ブライダルの仕事に、
中学生のときから憧れていた。

中学1年生のときに、
となりの中学の先輩に 一目ぼれをして、
生まれて初めて、
胸が痛くてご飯が食べられない
という経験をしてから、
私の恋愛至上主義人生が始まった。

その頃一番好きだったことは恋愛で、
だから、結婚式というものは、
間違いなく人生最高の瞬間なんだろう、
と思っていた。
そこに携われる仕事があると知ったとき、
胸が躍ったのを覚えている。

だけど、私の夢に、
家族は、賛成しなかった。

祖父母は、
公務員になるのがいいよ、と言った。

叔母は、
トーク力と度胸が必要な仕事だから、
あんたには向いてないよ、と言った。
(根に持つタイプなので、
なんて言われたかまで覚えている笑)

思えばそれが、
親の理想の将来と自分の理想の将来が違う、
という罪悪感を、
初めて覚えた瞬間だったのかもしれない。



高校時代も、例にもれず
恋愛に明け暮れた3年間を過ごした。
だから、
ブライダルの仕事への憧れの火は、
消えることなく燃え続けた。

進路選択の時、
ウエディングプランナーになれる専門学校に行く、
という選択肢もあった。
学校案内も取り寄せた。

だけど、
そこを貫くほどの強い決意が、
私にはまだなかった。
ウエディングプランナーになるしか道がない、
というのが、怖かった。

だから、進路を狭めずに、
文系の私大に進学した。

その選択に、後悔はしていないけれど、
今思えば、それが、
自分がやりたかったことに対する、
1回目のプチ挫折だと思っている。






2回目の挫折は、
結婚式場のアルバイトだった。

大学1年生。
人生初のアルバイト。

そのときすでに、
妥協できない性格を存分に発揮していて、

とりあえずお金が稼げればいい、
という考え方は無くて、
本当にやりたいことに時間を使いたい、
と思っていた。

それに、
ブライダル業界に就職するつもりでいたから、
経験になるようなものがいいと思った。

だから、納得できるバイトを探した。
そして、見つけたのが、
新郎新婦のアテンドのバイトだった。

よくある結婚式のホールじゃなくて、
結婚式のバイトの中では、
どの仕事よりも長く、
新郎新婦の近くにいられる。
これだ、と思った。

早速登録して、初回の研修後、
原宿の式場に配属された。

たしか、4回の研修勤務を終えて、
最低限独り立ちするまでは、
お給料は出ない、という内容だったと思う。


周りは大学生はいなくて、
みんなベテランの女性だった。

教育担当としてついてくれたのは、
おそらく40代くらいの、綺麗で厳しめの
絵にかいたようなベテラン社員だった。

スマートで一切無駄のない対応で、
黒子に徹するプロ、といった感じだった。

その人に、怒られながら、
私は必死に食らいつこうとした。

慣れないパンツスーツとパンプス。
巻き爪がひどくて、
タコもでき放題で、
ばんそうこうだらけの足を、
休憩室で先輩たちに心配された。

器用じゃないくせに
プライドだけ高かった私は、
緊張と集中で神経をすり減らし、
毎回へとへとになって、
1回が終わって帰るときには抜け殻だった。

その日が始めましての新郎新婦さんだけど、
結婚式という、
最高に幸せな瞬間に立ち会えることは、
素直に嬉しかった。


だけど、人生最高のその1日が、
自分の腕にかかっている。
絶対に失敗できない、
と思うプレッシャーは、
内臓が全部出そうなほどだった。

週1回のその勤務のことを考えるだけで、
心臓がバクバクした。

今思えば、
なんで人生初のアルバイトに、
そんな高レベルなものを、
選んでしまったんだろうか、と
思ってやまない(笑)


3回目の勤務で、
1人でドレスの裾を持たせてもらったが、
新婦のドレスを、少しだけ踏んでしまった。

新婦が歩きにくそうに、
怪訝な顔で振り返る。
すみません、と、もう一度持ち直した。

でも、上手くいかず、
どうしても踏んでしまう。

見かねた先輩が、すみません、と、
私からドレスの裾を奪って、
助けてくれた。

自分の人生最高の晴れの場で、
新人丸出しのガチガチのアテンドに、
大切なドレスを踏まれる花嫁さんの気持ちを思うと、
どんな顔をしていればいいか
わからなかった。

その時の、
申し訳なさといたたまれなさは、
耐えがたく、
私にこの仕事をする資格は、
ないかもしれない、と思った。


そして、私は、
バイトをやめることにした。

自分で選んだバイト。
ずっとやりたかった、結婚式のバイト。
続けていれば、
もっと上手になれるかもしれない。

でも、そのプレッシャーに耐えられず、
研修期間も終えないまま、
私は逃げた。

その頃、
ちょうどボランティア活動も始めたころで、
その活動が忙しく、
集中して頑張りたい、という、
もっともらしい理由で、
私は自分を正当化した。

罪悪感いっぱいで、
会社に電話すると、
「1年間は続ける、というお約束でしたよね?」
と、当然の反応。
無責任な大学生に対する怒りが伝わってきた。


「あなたはセンスも良くて、頭もいいから、
教育担当の先輩と、
これから戦力になってもらえるね、
って話してたんですよ。」

これは意外だった。
そんな風に認めてもらえてるとは思わなくて、
余計に罪悪感が募った。

手も声も震えながらかけた電話を切って、
もう、あの気が重くなる緊張を感じなくて済む、
と思ったら、
正直、安心した自分がいた。

教育担当だった先輩には、
申し訳ありません、と、メールした。
短い時間だったけど、
貴重な時間を使って教えてくれたことに、
感謝を伝えた。
当然、返事は来なかった。

私のガラスのプライドは、
ぽっきりと折れてしまって、
大学時代のバイト経験は、
その、1回が、最初で最後になってしまった。
ゆとり世代も真っ青の、
ゆとり代表だった。





3回目の挫折は、
就活だった。

当時、
人生をかけた恋愛が上手くいっていなかった私は、
自分に対して投げやりになっていて、
自分の将来に対して、
本腰入れて考えることができなかった。

頭ではわかってた。

その一時のたった一つの恋愛のせいで、
自分のこの先何十年の人生を
真剣に考えないということが、
どれだけバカげたことなのか。

自分の人生、
それでいいのか?と思ってた。

だけど、
どんなに奮い立たせようとしても、
その頃の私は、
下を向いたままだった。

とにかく苦しくて、
身体が重たくて、
自分のことも、未来のことも、
考えたくなかった。

心が前を向くことに、
どうしても力が入らず、
うつうつと、無気力な日々を過ごしていた。

だから、
倍率が高く、
面接まで進むだけで一苦労の
ブライダル業界になんて、
手も足も出なかった。

挑戦することすら、できなかった。
応募すら、しなかった。

バイトを3回で挫折した私に、
面接で夢を語れる資格はないと思った。

親も反対していたし、
ちょうどいいのかもしれない、なんて
都合のいい言い訳をしては、
虚しさを見ないふりした。

ブライダルの面接に行ってきた、
と話す友達がまぶしくて、
目を逸らすことしかできなかった。


それでもせめて、
接客をしていたいと、思った私。

唯一内定をもらえた、
美容系の会社に、
サロンスタッフとして就職した。

ナイーブな悩みを扱う業界で、
カウンセリングに力を入れている企業だった。
人の心に寄り添える自分になりたい、
という想いが、叶えられると思った。


でも、ここを選ぶことに対して、
また、家族は良い反応をしなかった。

お父さんは、反対はしなかった。
祖父母からは、
反対せずとも、不安は伝わってきた。
叔母は強く反対した。


「本当にそんなところに行くの?」


名の知れた企業でもない、
資格が保証される職種でもない、
将来もわからないような業界に、
あんたは本当に行くの?
という思いが、伝わってきた。

辞めといた方がいい、と言われた。

当時の私は、
叔母への怒りと反発心が燃え盛っていて、
私の人生に口出ししてくるな、
邪魔だ、
消えてくれればいい、と、
本気で思っていた。

だけど、
その怒りは、
自分を責めていた証拠。

それだけの熱量で、
私は私を責めていた。

その燃え盛る怒りの中には、
狂いそうになるほどの、
わかってもらえない悲しみがあった。


母方の祖母には、
「みんなが安心するような、
大企業に入れなくて、ごめんね」と、
電話で泣いた。

そうしたら、
「愛が笑って楽しく生きていたら、
それでいいんだよ」と言ってくれた。

叔母も含め、実家の家族には、
手紙を書いた。

便箋を買いに行く余裕もなくて、
ほとばしる思いを、
泣きながらルーズリーフに書きなぐった。

祖父母も読めるように、
大きい字にして、片面4枚いっぱいに
思いの丈を走らせた。

みんなには感謝もしている。
私のことを心配してくれているのもわかっている。
だけど、お願いだから、
私の人生は、私に決めさせてほしい、
そんな内容だったと思う。

必死だった。

なんとしても、自由を守らないと。
なんとしても、私は私の選択権を、守らないと。
そうしないと、心が死んでしまうと思った。


手紙を読んだ、お父さんから、
「愛が選んだことなんだから、それでいいんだよ」と
連絡があった。

叔母さんがどう思ったかは、知らない。

でも、自分の人生を守れたことが、
私は嬉しかった。


だけど、そうやって家族を説得し、
自分を貫いて入った会社を、
私は、1年3ヶ月で辞めることになる。

それが、4度目の挫折。


ここまで読んでくださって、ありがとう。
続きはまた明日。

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