愛をやり直す必要なんて、どこにもなかった

私の愛

“私はお母さんに愛されていたし、
私もお母さんを愛せていた”


前回の記事を綴って。


私はお母さんの愛を、
もう一度、
心から受け取ることができた気がした。


私の心の中に、
お母さんがくれた強い愛が、
根付いていたから。

だから、私は、
こんなにがむしゃらに、
人を愛してきたんだね。

命懸けで、
こんなにも、頑なに、
強くいることにこだわって、
信じることにこだわって、
愛を貫いてきたんだね。

それは、お母さんが、
私の中に残してくれた、愛の形。


そして、
愛する人のどんな弱さも、
どんな痛みも、
どんな姿も、
丸ごと受け入れたいと願うのは、
お母さんに伝えたかった、私の愛。

たとえ、それが、無茶苦茶に思えても。
たとえ、そうすることで、自分が痛くても。
それが、私の愛の形。



確かに自分の中にあったその愛を、
価値の無いものにしてきたのは、
他の誰でもない、私だった。

自分の愛を貫けなかったとき、
自分の愛が相手に届かなかったとき、
自分を責めてきた。

やっぱり、
私の愛じゃ、愛する人を救えない。
そう感じてきた。

お母さんの力になれなかった、と感じていた、
あの頃の自分を、
私はずっと責めてきた。

辛くても、苦しくても、
我慢する愛を続けることで、
どうにかして、
自分の愛の価値を、
証明したかった。

だけど、
自分の愛に価値があると思えなかったから、
愛しても、愛しても、
足りてないように感じてた。

愛を伝えても伝えても、
消えていくような感覚だった。

愛しても、愛しても、
私の心の奥の奥に渦巻いている空洞までは、
満たされなかった。


でも、本当は、
私の愛には、価値があった。

命の限りを注いで、
強く愛してくれたお母さんの愛。

その愛に全力で応えようとした私の愛。

その愛に、
価値がないわけがなかった。

ただ、私が、
満たされていないと、
感じていただけ。

ただ、私が、
そこに、愛はないと、
決めつけていただけ。


だけど、
“私の愛には価値がない”
その思いがあったから、

ずっと、愛する人の力になりたい。
そう思い続けて、生きてきた。

何度も何度も転んだけど、
その度に、立ち直ってきた。

その思いがあったからこそ、
私の中の愛を、
こうして育ててこれたんだとも、思った。





愛する人に何もしてあげられないと
泣いた日で、思い出す日がある。


「もう嫌だ…」


カウンターの隣にいる君が、
ぽつりと言った。

20代前半の頃、心から大好きだった人。

人を好きになれないという、
孤独の中にいた君を、
どうにかして救いたかった。

でも、私には、救い出せないまま、
その孤独に触れられないまま、
彼の人生を生きるために、
遠くへ行ってしまった人。

あの日の私は、
隣で小さく俯く君の横顔を、
ただ、見つめていることしかできなかった。

何も言葉は出なかった。
君の心に届く言葉なんて、
あの頃の私は、
何一つ、持っていないような気がした。

手を伸ばせば、
簡単に触れられる距離だった。
だけど、拒絶されるのが怖くて、
壊してしまうことが怖くて、
どうしても、
手が伸ばせなかった。


ひとりになってから、
何もしてあげられなかったことが
悔しくて、悲しくて、
ぼろぼろと泣いた。

あの頃、今よりもっと、
自分の愛に自信がなかった。
私の愛が、愛する人の力になれるなんて、
とてもとても、思えなかった。


だから、
愛する人の力になれるように、
話を上手に聞けるようになろうと思った。
人の心に届く言葉を、
ちゃんと持てるような人になりたいと思った。

それからは、
もともとあった、心のことに対する興味が
余計にくっきりとして、
何かに追い立てられるように、
勉強するようになった。


誰かを愛するために、
学べば学ぶほど、
自分自身が、傷ついていることを知った。

だから、自分のことも、癒しながら、
次に出会う愛する人のことは、
ちゃんと救える私になれるようにと、
願い続けて、生きてきた。

だけど、恋をする度、
自分の痛みに負けそうになって、
愛する人の力になれる自分なんて、
果てしない遠い未来のような気がしてた。

何度も、負けた。
何度も、愛させてもらえないまま、終わりが来た。

それでも、私は、
どうしても、どうしても、
愛する人の力に、なりたかった。


そんな私が、
今の好きな人に出会った。

助けたい、救いたい、という感覚とは、
何か違うのだけど。

そばにいて、癒しになりたい。
この人の信念の、支えになりたい。
この人の世界の、味方でいたい。
そう、思う人。

その男らしい愛に、
繊細で優しい心に、
包まれたいと、思う人。


ある日、
その人が、
ほんの少しだけ、
私の隣で、気持ちを話してくれた。

「ショックだった」

そう話す、
愛する人の肩に、
手を伸ばしてみた。

愛する人の背中を、
そっと撫でてみた。

「この背中に、たくさん背負ってるんだね」と、
言葉を、その背中に、そっと置いた。


何もできないことは、
変わってないかもしれない。

愛する人の温度は、
きっと私の温度より高くて、
あたためることができたのかは、わからない。

何か特別な言葉を届けられたわけではなくて、
ただ、隣にいただけ。

そんな大げさな話では、
決してないのだけど。


だけど。

あの一瞬は、
今思えば、
私の歴史の中で見たら、
革命が起きた瞬間だったのかもしれない。


私の未来には、
愛する人に、
ためらわずに、
ちゃんと、手を伸ばせる私がいるよ。
言葉をかけられる私がいるよ。

私は、
愛する人に触れて、
温度を伝えられる私になれるよ。


あの日、愛せないと泣く私がいなければ、
愛したいと思い続けてきた私がいなければ、
愛する人に手を伸ばせる、
今日の私はいなかったよ、と。


あの頃の私に、
そう、教えてあげたくなった。





だから、もう、
私の愛には価値がないという思いを
満たすために、
誰かを無理やり愛さなくても、いいよ。

壊してしまうことにおびえながら、
我慢しながら、
愛さなくても、いいよ。

もう、
自分の愛に、自信をもって、
愛しても、いいよ。

私の愛は、
私を大切にしてくれる、
大好きな人のために、
心を込めて捧げたい。

ここまで言葉を綴ってきて、
そう、思えたよ。


そして、
愛したい、という想いに、素直でいること。
愛されたい、という想いに、正直でいること。

混じり気の無い愛で、
いたいと思う。

満たされるための愛ではなくて、
そこにあるだけで、
満たされている愛。

そんな純粋な愛で、
私はあなたに、
もう一度、出会いたい。

何度だって、
純粋な愛に戻り続けて、
愛する人を想い続けたい。


そう、思ったよ。







お弟子さんの同志のサトヒが、
少し前に書いたこの記事を読んで、
私に伝えてくれた。

「親目線でみたら、
子どもが我慢しても、ワガママ言っても、
どちらでもいい。
その意味は、
結局、子どもの存在自体を愛しているから。
存在自体を愛しすぎているから、
何したって、愛することしかできない」と。

「何をしても、何をしなくても、
ただ娘の存在が、
なによりもお母さんの救いであり、
喜びだったに決まっている。
その時、我慢することを選んだ、
娘の最大の愛情を、お母さんは喜んでる。
もし、そうじゃないことを選んだとしても、喜んでる」と。


ああ、そうか。

私はずっとずっと、
しつこいくらいに、
何かをしないと、
愛されないと、思ってた。

何かをしないと、
愛せないと、思ってた。

でも、
何をしても、
何をしなくても、
愛されていたし、愛せていたんだね。


お母さんは、
きっと、
どんなわたしでも、
愛するという選択肢しか
なかったよね。

笑っている私でも。
泣いている私でも。

怒った後、
必ず、私を抱きしめて、
「お母さん、怒ったけど、愛のこと大好きだよ」
って、言ってくれたお母さん。

私のために怒って、
私のために抱きしめてくれた、お母さん。

どんな私でも、
愛してくれた、お母さん。


私だって、そうだよ。
だって、
お母さんがいなくなっても、
こんなに大好きだから。

お母さんがいても、いなくても、
大好きなことは、
変わらないよ。

病気になったお母さんも、
私を置いていってしまったお母さんも、
もう会えないお母さんも、
こんなに、こんなに、大好きだよ。


だから、
もう、許そうと思った。

あのとき、私を置いていったお母さんを。
置いていかれた私を。

ずっと一緒にいてくれなかったお母さんを。
何もできなかった私を。

望むようには愛してくれなかったお母さんを。
望むように愛してもらえなかった私を。

ずっと我慢してきた私を。
上手く生きてこれなかった私を。

今もまだ、お母さんが好きで好きでたまらない私を。
今もまだ、お母さんの愛を求め続けてる私を。
今もまだ、お母さんを想って、泣いている私を。


全部全部、許すよ。

全部、抱きしめて、
全部、大切にするよ。

それが、私の愛だから。

私なら、それができるから、
だから、
お母さんの娘として、
私に生まれてきたんだと、思うから。

全てを受け入れて包み込むような愛を
もって生まれたんだと、思うから。







もっと上手に愛せたらと、
いつも、後悔してきた。
もっと上手に愛せるようになりたいと、
いつも、思ってた。

だから、
やり直すように、
誰かを愛してきた。

でも、きっと、
愛を、やり直す必要なんて、
どこにもなかった。

これまでの全てが、
私の人生にとっての、
完璧な愛情だったから。

欠けていると感じた愛も、
足りないと感じた愛も、
上手くいかないと感じた愛も、
きっと、それで、よかった。

その一つ一つの愛が、
積み重なって、
今、私は、私として、
ここにいられるから。
目の前の人を、
愛することができるから。


ないと思ってきたからこそ、
だからこそ、
得られた愛が、
出会えた愛が、
今の私の宝物。

だから、これで、よかったんだ。
全て、間違ってなんてなかった。

愛を求めて、
愛にしがみついて生きてきた私。

22年回り続けて、
やっと、私は私の愛を、
一周できたのかもしれない。
それくらいの、
大きな大きな愛だったって、ことにしよう。


きっと私は、
まだまだ、悩むし、
これからも、何度も泣くと思う。

だって、私が愛に生きることは、
変わらないから。
ただ、二週目に入るというだけだから。


だけど、
もう、私は、
過去の私のためじゃなくて、
愛せなかった誰かのためじゃなくて、

今の私のために、
今、愛して、
今、愛されていいんだ。



いつか、
「生まれてきてくれて、私と出会ってくれて、
ありがとう」と、
愛する人と言い合いたい。

「愛してくれて、ありがとう」と、
「愛させてくれて、ありがとう」を
目を見て伝えあって、

お互いの存在そのものが、
生きる力になるような愛を重ね合わせて、
大好きな人と、
手をつないで生きていきたい。


それが私の、新しい夢。

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