「私のこの寂しさが、お前にわかってたまるか」と、世界にケンカを売っていた私の話。

心理学講座

愛情アーティスト 心理カウンセラーの愛野ひとです。

今日は、
『我慢』の講座を控えた私が
ずっと握りしめていた『我慢』と、
その『我慢』を、手放せた話を。


4月27日(水)に、
『我慢』をテーマに心理学講座をするのですが、


今日のこの話を読むと、
講座に参加したくなるかもしれないし、
もしかしたら、参加したくなくなるかもしれません(笑)


それくらい、
私がしてきた『我慢』の話を、
暗い心の中の闇を、
深く深く潜って、

さらけ出して、書きました。


暗い心の中の闇を、
深く深く潜って、

そして、光をつかんだ話を。



***


『我慢』の心理学講座を、月末に控えているというのに、

最近の私には、

「なんか、最近、私、すごく我慢してない?」

そんな悩みがあったんですね。


ザ・矛盾。

このままでは、
我慢講座ならぬ矛盾講座になってしまう。


さあ、これから、
『我慢』を手放すことについて伝えていくぞ、
というタイミングなのに、

私の心の中では、
『我慢』と言う名の楔が、
私の心のある場所を、
固く握りしめて、決して離してくれないような。

しかも、その、「ある場所」が、
何なのか、どこなのか、
もやがかかっていて、全然わからない。

そんな状況だったんです。

なんだろう、もやもやして、ずっと引っかかる。


でも、感覚としては、「あと一歩」なんです。

その、なんだかよくわからない
『我慢』の楔さえ外すことができたら、

私はもっと、自分らしく生きられる。
もっと、自由になれる。

そんな感覚もありました。


だからこそ、今、
みんなの前で、
『我慢』をこれから語る前に、

私の心が、
これだけは、これだけはどうしても!!!
外しておいてね、と、
教えてくれてるのかもしれない。


ほんとうに、心ってやつは、よくできてる。
私の心は持ち主に似て、とても健気。(ん?)



そんなもやもやの楔を、
今、外すときなんだろう、

だけど、自分の力だけでは、
辿り着けない、と感じた私は、


以前、
感覚的なカウンセリングをしてくれて、
頑固な私の心の鎧を脱がせてくれたセラピストさんに、
会いにいくことにしました。


私は、こう見えて、
ときどき、すごく頑固が
発動するときがあるんですね。
(見た目通りだよという異論は受け付けません)

カウンセリングを受けるとき、
特に、年上の女性とか、
お母さんみたいな女性だと、

すごく、
自分の中で反発心とか、頑なさ、が
出てくるときがあるのが、
自分でもわかります。

それも、お母さんに甘えられなかった、
甘えることを我慢して、強がるしかなかった、
私の精一杯の甘えなのかもしれません。


例に漏れず、今回も、頑固な私が出てきたんです。



そして、そのセラピストさんと話していたら、気付きました。


「お前になんか、わかってたまるか」

「私のこの寂しさが、この痛みが、簡単に、わかってたまるか」



私の中に、そんな怒りがあることが。



そうやって、怒っている私がいるみたいです。

セラピストさんにそう伝えると、「怒っていいよ」と。


「お母さん、どうして私を置いていったのよ!!!!!
どうしてどうしてどうして!!!!!!!!!」


そのセラピストさんは、
代わりに怒ってくれたけれど、

私の中の怒りの塊は、
頑なに、外に出ようとしない。

それを出そうとすると、
悲しくて、力が入らなくて、泣けてくる。


「怒ってるっていうか・・・・

悲しいです・・・。

お母さんに、会いたい・・・」



力の抜けた声で、そう言うのが、やっとでした。


会いたいよ・・・・。

そう言って、泣かせてもらいました。


それが、そのとき、私の中から出せる精一杯でした。



だけど、たしかに、私の中にある怒りの塊。
それに気づいてしまいました。


「自分が、今も、怒っている」

そのことをまじまじと見せられて、
怒っているのに、なんだかすごく、
答えが見つかったような、
光を見つけたような気がしていました。

それが、今の私を止めている楔そのものだって、わかったから。



散々、お母さんのことには向き合って、
散々、泣いてきたのに。
散々、恨みつらみも吐き出して、
寂しいなんて、一生分味わって、
散々、感謝をして、
散々、涙を愛に変えてきたのに。


だから、もう、大丈夫。

そこに癒せるものなんて、もう、残ってない。


そう思っていたのに。



だけど、私は、今も、怒っている。




***




そのセッションが終わった翌日。

私は、その楔を、
自分自身で、掘り出すことを決めていました。

セラピストさんに見つけてもらった楔のありか。

だから、もう、姿は見えていました。

後は、私の手で、割れないように、壊れないように、そっと、掬い出してあげるだけ。



セッションでも、嫌と言うほど、感じたこと。

私は、ずっと、いい子をしてきた。

自分の感情を、ぶつけることを避けてきた。

今も、いい子をしている私がいる。


だから、怒れない。

こんなに、怒っているのに、怒れない。


怒っていないふりをして、
大丈夫なふりをして、
全然平気です、
わかってますから、
そんなことはかすり傷にも及びません、

そんな顔をして、


「お前になんてわかってたまるか」

「私のこの悲しみが、寂しさが、わかってたまるか」



そうやって、全人類に、世界に、ケンカを売っている、私。

そんな私が、いた。


そんな私に、声をかけてみる。


「もう、いい子なんて、やめたっていいよ」

「もう、どう思われたっていいんだよ」


怒っているのと同じくらい、

「もう、ひとりぼっちになりたくないよ」

そうやって、怖がっている、自分がいました。


「もうあんな寂しい思いは二度としたくない」

「もうあんなに、惨めな思いは二度としたくない」

「もう、あんなに…」



そこまで出てきたとき、

ああ、私は、ずっとひとりで、

ずっとひとりで、こうやって、自分の殻に閉じこもってきたんだ、って。

二度とそんな思いはしたくない、そうやって、目を背けてきたんだ、って。


ずっとひとりで我慢して、
そういう気持ちを
声を上げることをせずに、
誰にも訴えることをせずに、
ただ、ぐっと、耐えてる私がいたことに、
やっと、気付いたんです。



そのとき、

もう、いいんだよって、

私の心の奥から、
楔が外れて、

泣いたって、いいんだ。

怒ったって、よかったんだ。

そんな気持ちが溢れてくる。


私の中には、たったひとりで、
気持ちをこらえてきた瞬間が、
次々と思い出されてく。


あの日、病院の駐車場で、
お父さんが、
「お母さん、死んじゃった」と、泣いたのを見たとき。

お母さんの実家で、
白い布をかけて、
横たわって動かないお母さんを見ているとき。



お父さんが、ときどき、悲しい顔をしているとき。

お父さんの機嫌が悪くて、イライラしているとき。


おばあちゃんが、私を怒ったとき。

学校で、仲良くしていた子から、いじめにあったとき。


いろんな、悲しかったとき。


私は、我慢して、
自分の中の声を、必死に押し殺してた。


でもね、


でも、私、言いたいこと、あったよね。


たくさん、あったよね。


泣きたかったよね。


たくさん、叫びたかったよね。


ごめんね。


それを、させてこなくて、ごめんね。

涙と一緒に、私の中から、止めどなく溢れてきた、大量の気持ち。


それは、
「私だって、寂しい」だった。


「私だって、寂しいよ」

「私だって、悲しいよ」

「私だって、傷ついてるよ」


「私だって、私だって、私だって・・・・!!!!!!!!!」


でも、それが、言えなかった。

「私だって」は、ぐっとこらえて、飲み込んだ。

もう、何百回も、何千回も、何万回も、飲み込んだ。


だから、私、怒ってたんだ。


「私だって、私だって、私だって!!!!!!!!!」

「私の方が、私の方が、私の方が!!!!!!!!!」


そうやって、怒ってるのが、心の奥から伝わってくる。



悲しんでるお父さん。

寂しくて、たくさんお酒を飲んでたお父さん。

寂しそうで、自分の両親にあたっていたお父さん。

普段は優しいけれど、いつ、イライラするかわからないお父さん。


いい子にしてなさいと、
女の子らしくしなさいと、私を怒るおばあちゃん。

お父さんの態度に「悲しいわ」と、
泣きそうな顔をしながら、
お父さんに言うんじゃなくて、私に伝えるおばあちゃん。

他のうちの子は、
おばあちゃんのお手伝いを
よくしてくれるんだって、
と、私にプレッシャーをかけるおばあちゃん。


お父さんにも、おばあちゃんにも、あのとき、言えなかった。


「私だって、悲しいよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


「自分だけ、傷ついてるふり、しないでよ!!!!!!!!!!!!!!!!」



わたしだって、
わたしだって、
傷ついてるよ、
悲しいよ、

私だって、泣きたいよ!!!!!!!!!

泣きたいのは、こっちのほうだよ!!!!!!!!!




そしたら、出てきた。

怒りの一番奥にあった、
私の悲しみの根っこ。

それは、
「寂しい?」って、私に、誰も聞いてくれなかった、っていう、気持ちだった。


とてもじゃないけど、聞けなかったと思う。

お母さんを亡くした5歳の女の子に、
それでもなんとか気丈にふるまおうとしてる私に、
固く唇を結んで、泣くのをこらえている私に。

平気だよって、寂しくなんかないよって、
一生懸命、笑顔をつくる私に。


そして、固くて頑丈な鎧をかぶって、
全身から、鋭い棘を出して、

それだけは言うなよ、
そうやって、聞かせないようにしてきたのも、私だって、わかってる。

そう言われそうになったら、
するりと交わして、避けてきたのも、私。

わかっているけど。


でも。

それでも。


その棘すら乗り越えて、鎧すら超えて、
抱きしめてほしかったんだと、わかった。


「寂しいね」って、言ってくれる人、誰もいなかった。


私に、泣いていいんだよって、

悲しいときは、泣いていいんだよって、

お母さん、いなくなっちゃったんだから、
泣いたっていいんだよって、
悲しんだって、いいんだよって、
あのときの私に、
そう言ってくれる人、誰もいなかった。


私を、「寂しいよ」「悲しいよ」って、
泣かせてくれる人、誰もいなかった。


誰も私のほんとのほんとの気持ちを、
一番言うことができなかった気持ちを、
一番言いたかった気持ちを、
わかろうとしてくれなかった。



そのことに、私、ずっと、怒ってたんだ。

お父さんに、おじいちゃんに、おばあちゃんに。


「頑張れ」も、
「頑張ってるね」も、
「偉いね」も、
「愛はすごいね」も、
「愛は強いね」も、

そんなの全部全部、いらないから、

「泣いたらだめ。笑顔でいたら、幸せがくるから」

そんなのどうだってよくて、


私は、ただ。


ただ、「さみしいね」って、言ってほしかった。


ただ、「さみしいよ」って、たくさん、泣かせてほしかった。


ただ、「さみしいね」って、わかってもらいたかった。



私を腕いっぱいに抱きしめて、
「さみしいね」って、受け止めてくれる人。

その腕の中で、思いっきり、泣かせてくれる人。

どんなに泣いたって、私を優しい目で見つめてくれる人。

寂しくなんか、ないもん、って、
涙を目にいっぱいに溜めながら、
全然平気だもん、て、
声を震わせながら言う、
私の強がりさえ、受け止めて、包んでくれる人。



それが、私にとっては、たったひとり、お母さんだった。

私は、そう思ってたんだ。


でも、そのお母さんが、いなくなった。

もう、私のそのままを、受け入れてくれる人がいない。


私は、そんな気持ちで、この世界を、生きてきたんだと、わかった。



だから、私が、今、すべきなのは、


たったひとりで、
泣くこともできずにいる、
あのときの私のところに駆けつけて、
一緒に、泣き喚くことだと思った。


目を閉じて、想像する。


私は、走ってた。

一秒でも早く、早く、会いにいかないと。

そう思った。



あの日の自分を見つけて、
思いっきり息を吸って、
私の名前を叫ぶ。


愛!!!!!!!!!!!!!!


泣いていいよ!!!!!!!!!!

あんたは、泣いていい!!!!!!!!

怒っていい!!!!!!!!

叫んでいい!!!!!!!!!!



びっくりして、
ぽかんとしてる小さな自分の肩を揺らして、
言葉を伝えていく。


びっくりしてた小さな私は、
私の真剣な想いを受け取って、
あっという間に、
たがが外れたように、
見る見るうちに、涙が溢れていく。


そして、我慢してしまった瞬間を、
一緒に、ひとつひとつ、やりなおした。


お母さんとの、お別れのとき。

泣いていい。
動かないお母さんに抱き着いていい。
静かにしてなさいって、誰かに怒られたっていい。
取り押さえられたっていい。
その場にいる大人全員に、かわいそうな目で見られたっていい。
お母さんを、涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしたっていいから。
泣き喚いていい。


あんたが、あんたがそれをしないと、
それをしていいのは、あんただけだから、
それができるのは、あんただけなんだから、

そんなとこで、我慢なんてしなくていいから、
一生で一番、いらない我慢だから、


あんたが、そこで、それをしても、
誰も責めないから、

あんたが、そこで、
ちゃんと悲しんで、ちゃんと泣き叫ばないと、


「愛も我慢してるんだから」って、
お父さんも、ずっと、
我慢しないといけなくなっちゃうから、


だから、泣き叫べ!!!!!!!!!!!!


小さな私は、地響きみたいに、泣き喚く。

私の目からも、涙が溢れてきて、
小さな私と一緒に、泣き叫ぶ。





いじめられたとき。
ずっと耐えて、一言だって反論しなかった。

「ふざけんなよ」って、怒っていい。
泣いていい。
先生にいいつけていい。

「うるせえーーーーー」って、
いじめっ子のところにいって、胸ぐらつかんで、やり返していい。

小さな私と一緒に、思いっきり叫ぶ。





いじめてきた子に「ごめんね」と謝られて、
そのことを、おばあちゃんに話した日。

おばあちゃんが、私への言葉よりも先に、
「その子のこと、ちゃんと許してあげた?」って聞いてきたとき。


「許せるわけないじゃん!!!!!!!!!!!
私がどれだけつらかったか、わかってる?????」

小さな私と一緒に、思いっきり叫ぶ。




「愛は優しくないね」
私と、いとこを比べて、お父さんが、ぽろりとこぼしたとき。


「私は、優しいよ!!!!!!!!!!!!!!!
こんなにこんなにこんなにこんなに、優しいよ!!!!!!!!!!!」

小さな私と一緒に、叫ぶ。



お父さんとおばあちゃんが、勝手に、私の友達の親に、
「遊んでばかりだと、勉強ができなくなるから、もう愛と遊ばないでほしい」
そんな手紙を、出したのだと、友達の親から聞かされたとき。


「勝手なことしないでよ!!!!!!!!!!!!!!」

小さな私と一緒に、叫ぶ。



学校で嫌なことがあって、
帰ってきて、むしゃくしゃして、
おじいちゃんにきつく当たってしまった私を見て、
おばさんが、
「あんたの気分を家庭に持ち込まないで」って、言い放ったとき。



「じゃあ、私は、どこで泣いたらいいの?
誰に助けてって、言ったらいいの?????????
私だって、苦しいんだよ!!!!!!
私だって、悲しいんだよ!!!!!!!」

小さな私と一緒に、叫ぶ。


なんてことない、些細な瞬間だってある。
だけど、私の中に、消えずに、ずっと残っている瞬間たち。

言いたいことを飲み込んで、
我慢してた瞬間が、
次々と、頭を駆け巡っていく。


私は、小さな私が言えなかったことを、
一緒に、叫んでいく。


小さな私が、どれだけ我慢してたか。
こんなにも、我慢してたんだね。

私が、私に、我慢させてたんだね。


だから、怒ってた。

わかってもらえるわけがない、
っていう悲しみは、
私がずっと、溜めてきた感情たちだった。


そして、本当は今にも溢れだしそうな
「わかってほしい」を隠すために、

「わかってたまるか」

「あんたなんかに私の気持ちわかってたまるか」

「私は違う」

「私は、みんなとは違う」

「わかってなんて、もらいたくもない」


そうやって、自分の本音は、
本当に限られた人にしか見せずに、

自分には、孤独が似合う、みたいな顔をして、
一匹狼を、してたんだと、わかった。

人一倍、わかってあげたいと願うくせに、
私の心は、頑なに、開かなかった。


本当にいいたい気持ちを、
わかってもらえないあの寂しさを
もう一度味わうくらいなら、

どうせわかってもらえない。

最初から、諦めているほうが、楽だった。



そして、「私だって」が、
そんなにも言えなかった、一番大きな理由。

いちばん奥に、まだあった。

私の心の中に残ってた、

お母さんに、言えなかった言葉。
お母さんに、怒れなかった言葉。
それだけは、言えなかった言葉。


「どうして、私を置いていったの?」


その気持ちを抑えるように、

お母さんだって、つらかった。
お母さんだって、なりたくて病気になったわけじゃない。
お母さんだって、痛い治療を、頑張ってたんだ。
娘を置いていく、お母さんだって、悲しかったにきまってる。


「お母さんだって」
そうやって、理解しようとして、自分を抑えてた。


だから、お母さんを責めちゃだめだ。
だから、怒っちゃだめだ。
お母さんが悪いわけじゃない。


そう思って、怒ることを、我慢してた。

「私だって」は、言っちゃいけないって、思ってた。



でも、違ったね。

そうじゃない。

我慢で、繋がらなくていい。


怒ってよかった。

私、怒ってよかったんだよね。


私だって、
私だって、
私だって、


悲しいよ。
寂しいよ。
辛いよ。
苦しいよ。



お母さん、なんで病気になったの。
お母さん、なんでずっとそばにいられないの。
お母さん、なんで、私はこんなに寂しい思いをしなきゃいけないの。
お母さん、なんで、なんで、なんで・・・・・・・・・!!!!!


そうやって、怒って、泣き叫んでよかった。



お母さんだって、
お母さんだって、悲しいよ。
お母さんだって、置いていきたくないよ。
お母さんだって、死にたくないよ。

痛いよ。
辛いよ。
さみしいよ。

ねえ、お母さん。

お母さんにも、そうやって、私の前で、泣いてほしかった。


お母さんと一緒に、抱き合って、そうやって、泣けたらよかったな。


5歳の私には、それができなかったけど、
今の私なら、それができるよ。

お母さんの、寂しいも、
私、ちゃんと、受け止めてあげられるよ。


今夜は、お母さんと抱き合って、
泣きながら、眠ろう。





***





この数日間で、心の中で、こんな出来事が、あったんです。


今、心の軽さと、
目の前に見えてる世界の違いを感じながら、

講座に来てくださるあなたの前で、
『我慢』のことを伝える前に、

この感情に、気付く必要があったんだと、感じています。


今回の気付きで、
もう一段階、深いエネルギーで、
『我慢』について、話せるような気がしています。

だから、もし、この話に、何かを感じた方は、
私の叫びが、届いた方は、
今回の講座に、
ぜひ、来ていただきたいんです。

講座の中では、私の話を、
深くするわけではないけれど、
(お母さんの話は少し、すると思います)

今の、この私にしか伝えられない
『我慢』の話、があると思うから。


同じ『我慢』というテーマで、
同じ内容を扱ったとしても、
今回の『我慢』は、今回だけ。


今の私が発するエネルギーと言葉は、
今だけのものになるし、
また次回は、全く違ったものになるんだと思ってます。

私の講座は、それくらい、
感情を乗せて、気分を大事にしています。

毎回、私の全部を注ぎ込んで作る、生きてる作品です。


そして、講座は、私だけではなくて、
私の想いを受け取ってくださるあなたがいて、完成します。


今のあなたが抱えている『我慢』の感情を、
ぜひ、会場に来て、
もちろん、オンラインからも、私に届けてください。

全員で、一緒に、癒やしていきましょう。

4月27日(水)19:30~21:00
『我慢』の心理学講座で
、お待ちしております🌹

講座の詳細をもう一度見たいあなたはこちら


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#4月27日我慢と本音の心理学講座

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私のお母さんの話🌹
お母さんの話は、これまでもたくさん書いてきています。
私にとっての、『我慢』の歴史であり、『愛』の歴史です。

【1】私の本音は、大好きな人を悲しませる

【2】あなた以外の誰にも、愛させないように

【3】我慢することでしか、あなたを愛せないと思ってた

【4】お母さん、命懸けで信じてくれて、ありがとう

【5】私、ほんとは、ただそこにいるだけで愛される、やさしい女の子だったな

【noteに書いた、お母さんを思って生きた私の半生】
心が壊れるほどの「寂しい」の先で辿り着いた、胸いっぱいの「愛してる」

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